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2014年05月29日(木) 

 5月22日(木)。朝は普通に起きて、ホテルの朝食に向かった。バイキング形式であり、バライエティーに富んだ食べ物が並べてあった。その中にひときわ目を惹いた物があり、ちくわのようで、それは細い竹に巻かれていた。全体の長さは5-6センチメートルくらいだろうか。それが山盛りに皿に積んであった。初めて見るものであった。聞くと、竹ちくわといって、徳島にある小松島の特産品とのこと。これがとてもおいしかった。フィッシュカツという名物もあったが、それはピンとこなかった。
 この日は夜には学会招待者の宴会があるが、それまでは時間があるので、「あわおどり会館」に行くことにした。この学会は貧乏なので、懇親会にあわおどりを呼ぶことはできないだろうと思い、会館では実演もあるそうなので行くことにしたのだった。
 まず、眉山ロープウェイに乗った。すると、同じ箱に見たような顔の女性が居た。よく見ると、驚いたことに北里の脳腫瘍研究助手のY井君ではないか!で、この日の午後は同道することになった。
 眉山頂上にはモラエス記念館があり、入ってみた。モラエスという名はかすかに記憶にあるような気がしたが、明瞭なものではなかった。彼はポルトガル人で明治時代に日本に来て、徳島が気に入り、日本人女性と結婚し、徳島で65年の生涯を終えた人で、軍人、外交官、文筆家であった。マカオ勤務の時に日本に強い興味を持ったようで、最後は異国の地で一人さびしく死んだわけだ。
 記念館にはモラエスの遺品、著書、さらには書斎を再現した部屋があり、ああ、こんな男が居たんだと、ボクには深く感じるところがあった。そのあと、遍路そばを食べ、あわおどりの実演を見て、会館の外に出てタバコを一服した。そのとき、駐車場のおじさんと話になり、モラエスの墓の場所を聞いたりしたら、おもしろいことを言う。
「おたくはモラエスに似てますねえ。モラエスも大きな人だったそうだし」
と。ボクは返答に困ってしまった。
 その後、会館のすぐ隣にあるお寺のモラエスの墓に行った。彼の墓の両脇には先立って死んだ二人の妻、おヨネとコハルの墓があった。そしてY井君と徳島市の水路ツアー船に乗った。徳島は水の町であることがよくわかった。
 夜は学会の招待者の宴会であり、そのため、1年ぶりだと思うが、スーツ姿になって、メイフライのネクタイピンを付けて、出席した。例によってたくさんの古い友人と会った。宴がたけなわになったころ、笛や太鼓が鳴り響き、阿波踊りの一団(一連)が入ってきた!もう、あとは、大騒ぎとなった。踊り子はフロアいっぱいにひろがって、招待客も一緒になって踊っていた。ボクは少々ゲンナリして、疲れてもいたので、早めに引き上げて部屋に戻った。
 この夜も、すこし、ロビン・フッドを読んだが、モラエスのことが思い起こされ、睡魔が押し寄せてきて、寝た。明日からは学会の本番なのだ。




閲覧数493 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/05/29 19:39
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