ボクが大学生の頃、熱帯医学研究会(熱研)という学生のクラブが出来てボクは入部し、部活として奄美大島や沖縄に行った。そのクラブは今も存続していて、近年は東南アジアなどに行っていて、来年は熱研創立50周年の記念大会をやり、記念誌を出すそうだ。その記念誌への原稿依頼がきたので、先ほど送ったばかりだ。ボクが学生時代に何をしていたか分かるので、ちょっと長いんだが、皆様にも読んでもらおうと思った次第だ。
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僕にとっての熱研-学生諸君への伝言-
昭和44年卒 川野信之
九大熱研創立50周年だそうで、よくぞ続いたと驚くやら、近年の皆さんの活躍に感心するやらだが、初期の頃に関わった者として、僕にとっての熱研はどんなものだったか、記憶をたどりながら書いてみたい。
僕が医学部1年生(昭和40年)のころだったろうか、生協売店に貼り紙があって、それは”南の島に行こう!”と書かれた熱研の部員募集のビラだった。青い海、白い砂浜、夜は満天の星空・・・などのイメージが浮かび、おおいに魅力を感じたものだ。ちょうどその頃、免疫学に興味があった僕は寄生虫学教室に出入りしていて、多田先生のフィラリア症血清診断の研究の手伝いをしていた。多田先生はたびたび奄美や沖縄に行ってフィラリア症の検診をしておられ、いろんな話をしてくれた。
「八重山のxx島ではね、夜になるとまったくの静寂の中で蛇味線の音がどこからともなく聞こえてきてね。いいもんだよ」と。
そんな下地があって、僕は熱研に入部したのだが、その動機には不純な要素、つまり別世界ともいうべき南の島への好奇心があったことは間違いない。入部後は熱研の活動にけっこうまじめに関わっていった。
第1回(昭和42年)の熱研の活動は奄美大島でのフィラリア症検診だった。第2回(昭和43年)は沖縄・石垣島の伊原間で行われ、次いで西表島に行った(昭和44年?)。2回目以降は看護師、保健師、臨床医がくわわって地域の栄養調査、無料検診が行われた。いずれにおいても地域の人々からとても感謝され、嬉しかった。伊原間では最終日には送別会を開いてくれ、ヤギをつぶしてヤギ汁がふるまわれた。現地の人にとっては特別のご馳走だったようだが、僕はヤギ肉の臭いに耐えられず、ほとんど食べられなかった。また、僕の担当はハンセン病で、沖縄各地の療養所を訪れ、医師から話を聞き、施設を見学した。名護市愛楽園には東北大出身の献身的な医師がおられ、大きな感銘を受けたことを覚えている。
沖縄で調査・検診を行うに当たっては、事前に村の三役の了承をとらねばならなかった。これは交渉というより根回しであり、実際には飲み会なのだった。酔うほどに古老たちはこれまでの日本への恨みを言い、不勉強にも琉球・沖縄の悲史を知らなかった僕たちは閉口したが、結局は蛇味線が鳴りはじめ、カチャーシーになって終わるのだった。
当時、沖縄はまだアメリカの統治下にあり、近い将来に日本に返還されると目されていたが、沖縄の言葉や文化はあまりに日本とは違うので、日本に復帰するより琉球として独立したほうがいいのではないかと思ったりした。
また、熱研の活動では若い男女が数週間行動をともにするので、ロマンスが芽生え、結婚に至るカップルも生まれた。
昭和44年に卒業し、医学部の旧態依然とした封建制に嫌気がさした僕は大学を離れ、山口県柳井市の病院で外科を学び、昭和49年から神奈川県相模原市にある北里大学病院に勤務して脳神経外科医になっていった。
昭和55年頃だったか、僕が当直をしていた小さな病院に、ある成人男性が受診した。数日毎に40~41℃の熱が出て夢を見るという。聞くとアフリカに1ヶ月ほど滞在し、現地人と生活をともにしてきたそうだ。マラリアかもしれないと思ったが、夜間であり、検査技師は不在であった。そこで自力で検査することにして、耳朶を穿刺して血液塗抹標本を作り、ギムザ染色をして検鏡すると、血球内に妙な形のものがあり、臨床検査法提要の図版を参照するとマラリア原虫であることが分かり、その患者さんはすぐに大学病院に送った。あとで知ったのだが、”脳外科医がマラリアの診断をした”ということは当時北里病院内で評判になったらしい。
血液塗抹標本とギムザ染色はフィラリア検診で何百人もやってきたので自信があった。熱研での体験がその後直接役に立ったのはこの1回だけだった。だが、もっと大きな、大事なことを教えられたように思う。現地での熱研の活動は僕の記憶の中で大きな位置を占めているし(青春時代の甘い思い出でもあるが・・・)、その後の僕の医人の基礎となる部分、また人としての価値観や感性までも磨いてくれたように思う。
学生時代に離島や海外に行って、数日の観光旅行ではなく、一定の期間滞在して現地の人々と行動をともにすることは、将来どのような方向に進むにせよ、とても有意義だと思う。視野がひろがるし、リアリティーをともなった体験として身につくからである。
学生諸君、信じたことを思い切ってやりたまえ!
悔いの無い青春を送りたまえ!
たとえ失敗しても、いくらでもやり直しがきくのだから。
写真は石垣島伊原間にて、医学部3年生(他の学部では5年生)の時。