英語を習い始めた頃は、英語で話すことは日本語を別な言葉で言い換えるようなものだと思っていた。つまり、「本」のことを ’book’ というようなものだと思っていた。だが、自分の考えを英語にして話すようになると、それはまったく違った考え方を表現するもであることが分かった。日本語で話すと、事実 (客観) と考え (主観) の区別ができない。それは、時制がないからである。日本語は、実況放送・現状報告のための言語である。事実はうつつ (現) であり、うつつを抜かさないで話をするには、自分の考えの方を抜かさなくてはならない。考えを抜かして発
私が子供の頃、「のんき節」と云う歌があって、「のんきな父さん、お馬のおけいこ、お馬が走り出しや止まらない。 、、、、、、 わたしゃ知らないお馬に聞いとくれ、へへのんきだね」と歌いました。何の哲学も持たないまま、世の中の流れに流されて仕方なく、もぐら叩きをして生きる人間の哀れと空しさを、日本人は昔からよく知っている。はっきりとした意思の内容を持たない日本人の生活は、貴方任せである。我が国の政治家は、手綱を握らないで官僚という馬に乗っているようなものである。当然のことながら、官僚は、民意を代表するものではない。だ
朝日新聞社の「論座2007年1月号」に掲載された赤木智弘氏の <「丸山真男をひっぱたきたい」> を読みました。私は、丸山真男をひっぱたきたくもないし、赤木智弘をひっぱたく気にもなれない。かれ等は、共に現象論に終始する同じ穴の狢だからである。必要なことは、現象の先にある答えである。我らが進みゆく未来の目標地点である。それを明示した上で、我々の現実に取りうる手段を提案することである。そうでなければ、こうした現象論には際限がない。Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose cr
日本語には、時制がない。和文には、未来構文がない。意思は、未来構文の内容である。日本人には、意思がない。意思がないところに方法はない。(Where there’s a will, There’s a way.)しどろもどろとしていて、我が国は世界の期待に応えることが難しい。日本人の社会では、意思は存在しない。だから、個人に意思の内容を尋ねることもなければ、容認することもない。個人主義は成り立たず、利己主義と間違えられることが多い。個人の意思を無視した指導者選びが行なわれる。当番選びのようなものか。アニマルの品評会のような
丸山真男は、<現代政治の思想と行動・上巻> (1) において、以下のように述べています。講和論議の際も今度の再軍備問題談話会のような考え方に対していちばん頻繁に向けられる非難は、「現実的でない」という言葉です。私はどうしてもこの際、私達日本人が通常に現実とか非現実とかいう場合の「現実」というのはどういう構造をもっているかということをよくつきとめて置く必要がうると思うのです。 、、、、、 (引用終り)日本語には時制がない。それで、未来構文はない。過去構文もない。あるのは現実構文だけである。現実構文は現在時制の文
日本人には、意思がない。意思は英語においては未来時制の内容であるが、日本語には時制がない。だから、日本人の発言は、実況放送とか現状報告のような目先・手先に関する事柄になって、自分自身の構想にはならない。日本人には、意思がない。意思がなければ責任感も湧かない。責任は、自己の意思の内容を駆使して果たすものだからである。このような事情により、我が国おいては、いかなる責任者に関しても個人の責任をはっきりと結論づけることができない。つまり、日本人の同意というのは、意思のない個人がただ首を縦に振る動作にすぎない。これも、
自分にその意思がないのに仕事をしなければならなくなるのであれれば、仕方なくその仕事をすることになる。丸山真男は、<現代政治の思想と行動・上巻> (1) において、以下のように述べています。戦後まもなく「ニューズウィーク」に、日本人にとっては民主主義とは "It can't be helped" democracy だという皮肉な記事が載っていたことを覚えています。「仕方なしデモクラシー」なればこそ、その仕方なくさせている圧力が減れば、いわば「自働」的に逆コースに向うのでしょう。そうして仕方なし戦争放棄から今度は仕方なし再軍備へーーーーああ一体
丸山真男は、<現代政治の思想と行動・上巻> (1) において、以下のように述べています。、、、、、現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。「現実だから仕方がない」というふうに、現実はいつも、「仕方のない」過去なのです。、、、、、日本人の考え方は、「現実を変える、動かす」のではなく、「現実だから仕方がない」である。現実を変えたり動かしたりするのは、意思の力
1. “日本人の発言は現実構文の内容だけになる.” われわれの求める正しい道「あるべき姿」は、未来構文の内容である。そして、日本語には時制がないから、未来構文はなくその内容もない。かくして、日本人には哲学が難しく、日本語は、実況放送・現状報告のための言葉となっている。http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/newpage62.htm 2. “日本人は,議論の仕方を知らないので,英米人の言うなりになるか,反骨精神を貫くかである.” チャーチルの回顧録より例を引くと、 >日