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2011年02月14日(月) 

シャーロットの弔問にスリーピーホローを訪れたこと。

 シルとヘイゼルに別れを告げ、僕はボーズマンを発ち、ギャラティン渓谷をウェスト・イエローストーンの町に向かって車を走らせていた。泊まる所は決まっていた。スリーピーホローというロッジであった。
 1990年に僕が初めてイエローストーンに釣りに来たときに泊まったのがスリーピーホローだった。この釣り人宿を教えてくれたのはコートランドのレオン・チャンドラーであり、彼は2004年にこの世を去っている。僕はその後イエローストーンに来るときには必ずスリーピーホローに泊まるようになったので、定宿(じょうやど)と言っていいだろう。その理由はいくつかある。オーナーのラリー・ミラーがすぐれたフライフィッシャーマンであること、独立したログキャビンになっていて快適であること、朝食付きで70ドルと高くないこと、宿泊客はほとんどが釣り人であり、朝食の時に釣りの情報が聞けること、フライタイイング・デスクをマテリアルも含めて自由に使わせてもらえること、などだった。それともう一つの理由があった。それは、ラリーと一緒にそのモーテルを運営していたシャーロットという感じのいい女性が居たからだった。
 実は、ラリーには10年以上前に脳腫瘍が発見されていた。僕はMRIを見せてもらったことがあるが、腫瘍は良性なのだが手術の難しい脳幹のすぐそばにできていた。僕はガンマーナイフという放射線治療を薦(すす)め、アメリカの脳外科医も同意見だったらしく、彼は手術はしないで放射線治療を受けた。その後現在までに10年は経っている。手術で摘出したわけじゃないのでいずれ大きくなる可能性があるし、そろそろいつお迎えが来てもいい歳だし、今会っておかないともう会えないかも知れない、シャーロットにも会いたいし、というわけで今年八月にはスリーピーホローに行こうと決めたのだった。それが今回の旅行のそもそもの目的だった。
 5月だったか、スリーピーホローを予約するためのEメールをラリーに送った。そして、その返事で悲報がもたらされた。シャーロットが2006年4月21日、この世を去ったという!肺癌だったそうだ。亡くなるしばらく前から咳が出て、はじめは肺炎と思われたが、組織検査で癌ががわかり、治療の方法がないと医師から言われ、自宅で死にたいという彼女の希望で、スリーピーホローにもどって1週間後に息を引き取ったそうだ。享年62だった。
 ショックだった。信じられなかった。そりゃあ、逆じゃないか。逆というのは、脳腫瘍のラリーが生き残り、元気だったシャーロットが先に逝ってしまうなんて・・・。旅行をやめようか、とも考えた。楽しむための釣り旅行が弔問旅行になるなんて。僕は2週間くらい何もする気が起こらず、旅行の準備を放置した。そして、シャーロットのお墓に花をそなえに行こう、と思い至ったのだった。

 ボーズマンを出た後、途中のギャラティン川で釣りをしたので、ウェスト・イエローストーンのスリーピーホローに着いたのは夜遅くだった。前もって電話を入れておいたので、僕が泊まるロッジの鍵は開けてあり、入り口にはメッセージが貼りつけてあった。
 翌朝、母屋のライアーズ・デン(嘘つきのたまり場)と名付けられた食堂で朝食をとっていると、ラリーが現れた。
「ああ、ラリー、久しぶりだねえ。だいじょうぶかい?シャーロットのことはなんて言っていいやら」
「うん、何とかやってるよ。来てくれてほんとうにありがとう」
と言う。
 朝食後、外のテラスで僕は椅子に腰掛けてタバコを吸った。もはや大きな灰皿は取り払われ、僕は携帯灰皿を使った。ラリーが来てシャーロットの最後の日々のことを話してくれる。僕は聞いた。
「シャーロットのはお墓はどこにあるの?墓参りがしたいんだ」
「お墓はないんだよ。彼女の希望でね、火葬にして遺灰はマディソン川に撒いたんだよ。たくさんの人が来てくれてね」
彼は涙ぐんでいた。僕は立ち上がって彼の肩を抱いた。
 ラリーは物静かで口数の多い方ではない。それに対してシャーロットはにこやかで話し好きだった。泊まり客には必ず話しかけ、その親しみを込めた素朴な笑顔とともに、だれからも愛されていた。スリーピーホローは彼女でもっているんじゃないかと思えるほどだった。
 ライアーズ・デンの入り口のテラスには椅子が数脚置いてあるが、かつては椅子の前には大きな灰皿が置いてあった。だから、僕がタバコを吸いにテラスに行くと、そこでタバコを吸っているシャーロットとよく一緒になった。スモーカー同士の仲間意識も手伝って、僕はシャーロットと話をするようになっていった。1990年当時にはアメリカではすでに禁煙運動が広がっていて、タバコを吸う人は少なくなっていた。自然、僕とシャーロットは二人きりになることが多く、なんだか逢い引きをしているような雰囲気があったかもしれない。
故シャーロット・スミス
「私とラリーはね、駆け落ちなのよ。二人ともワシントンDCに住んでいてね、私はコンピューターエンジニアリングをやっていたんだけど、あるパーティーでラリーと出会ったの。お互い、フライフィッシングをすることがわかってね、意気投合しちゃったのよ。こんなパーティーに出て世間話をしたっておもしろくも何ともないし、時間のムダだし、川に行って釣りをしたほうがよっぽどマシだわって私が言ったら、彼もまったく同じことを感じてたって言うのよ」
「それからちょくちょく一緒に釣りに行ったわ。お互いに惹かれてきてね、私もラリーもそれぞれ結婚していたんだけど、人生は一度きりだから二人で駆け落ちすることにしたの。そして、1987年に、フライフィッシャーマンにとって天国のようなイエローストーンに来てこのロッジを始めたのよ」
 また、ある時、こんな事を言っていた。
「私たちね、ここに来てあるお気に入りの場所を見つけたの。そこはね、ある川がヘブゲン湖に流入しているところで、鱒がよく集まる所なんだけど、釣り人を見かけたことがないの。ちょっとわかりにくい場所だしね。私たちはチャーリーズ・ポイントって呼んでるわ。チャーリーというお客さんに教えたら、毎日そこに通うようになってね、そう呼ぶようになっちゃったのよ。チャーリーももう亡くなっちゃったけど・・・。私、そこにサマーチェアーを持って行って本を読むのが好きなの。誰も来ないから落ち着くのよ。ある時ね、本を読んでたらいつの間にか眠っちゃって、ザワザワする音で目が覚めたの。雨かなって思ったら、違っていた。それはね、カゲロウのスーパーハッチがおきて、たくさんの鱒がいっせいにライズする音だったの。壮観だったわ、あれは!あなたにもその場所教えてあげるわね」
とウィンクしてにっこり笑った顔を今でも鮮やかに思い出すことができる。
一度だけだったが、シャーロットが一人で僕のキャビンに来たことがある。ドアは開けたままだったし、彼女は椅子にも座らず、立ったまま部屋の中を見回していた。僕はすこし驚いたし、まごついてもいた。
「ちょっと寄っただけよ。あれ、自炊しているの?」
「うん、イブニングまで釣るとレストランは閉まっちゃってるからね。毎晩、ピザばっかりじゃあ嫌気がさすしね。肉と野菜の炒め物を作るくらいなんだけど」
「これ、日本のタバコだけど吸ってみる?わりにいいよ」
と言って僕は輸出用ハイライトを差し出した。彼女は一服して、
「おいしいわねえ。これが本当のタバコね。こんなのはもうアメリカには売っていないのよ」
と言う。僕は遠慮するシャーロットにタバコを二箱あげた。そして、彼女は僕のキャビンから出て行った。敢えて念をおすが、二人の間にこれ以上のことは何も起こっていない。だが、この出来事は僕とシャーロットが共有する小さな秘密になっていたかもしれない。

 僕は久しぶりにチャーリーズ・ポイントに来て、小高い岸に車を停めた。最後にそこに来たのは八年前だが、何にも変わっていなかった。インレットの対岸には見覚えのある木組みの柵もあった。風もなく静かで、しばし、僕は佇んでいた。湖にはいくつかライズ・リングが見えた。
..
...
 草原に座って、アーニーの店で買ってきたワインを紙コップに入れ、シャーロットに乾杯して、飲んだ。彼女が好きだった輸出用ハイライトを数本、フィルターを取り去って川に流した。さようなら、シャーロット、と口に出して別れを告げた。すると、
〈私、シンプルに生きたかったの。幸せだったわ。あまり悲しまないでね〉
と彼女の声が聞こえたような気がした。腹もへっていたし、サンドイッチを食べた。蚊が寄ってきて、虫除けスプレーを買ってくるのを忘れたことを悔やんだ。僕の背後で、キチキチキチと乾いた音をたててバッタが飛んだ。

 スリーピーホローに滞在中、釣りにも行った。クエイク湖の上のマディソン川、公園内イエローストーン川、ヘンリーズ・フォークに行った。
レネ・ハロップと。
..
公園内イエローストーン川ではイブニング・ライズに間に合おうと急いだため、スピード違反のチケットをもらってしまった。ヘンリーズ・フォークではずいぶん前にチェスターダムのイブニング・ライズでオデコをくらったことがあった。そのリベンジをするためトラビス・スミスという名ガイドを雇った。サードチャンネルでは午前中ライズがあって小さな鱒が釣れたが、チェスター・ダムではハッチはなく、ライズもまったく見られなかった。どうやら沈んだ気分に釣りのほうもシンクロナイズしていたようだった。

 旅行の最後の日、僕は帰国便に乗るためにボーズマン空港にいた。場内放送で呼び出された僕は、何だろうと思いながら航空会社のチェックイン・カウンターに行ってみた。すると、そこに居たのはシルだった。
「フライができあがったから持ってきたんだよ」
と言う。
「ええっ、ほんとう!どうもありがとう。うれしいなあ」
「気をつけてね。また会えるといいね、ノビー」
「ソフト・シル、あなたもお元気で。また会いましょう!」
この時ばかりは、お互い肩を抱いての別れとなった。

 僕はモンタナで友人を一人失い、新しい友人が一人できたのだった。

                 おわり


閲覧数1,420 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2011/02/14 12:56
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2011/02/17 18:05
    鉛筆狂四郎さん
    S藤さん:

    二人とも死んじゃったからなあ。

    例のパタゴニアの社長もいい歳なんじゃないのかなぁ。

    生きてる間にやりたい事をやっておかなくちゃあね。
    次項有
  • 2011/02/17 17:17
    S藤さん
    ありがとうございました。
    この2編、いつ読んでもしみじみきますねぇ。
    次項有
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