8月13日、午後2時頃、河原にちょうどいい草地があったので、そこで昼食用にホテルで作ってもらったサンドイッチをたべ、ポットに入れてもらった珈琲を飲む。話は釣りのことばかりだが、目はチラリチラリと水面に行く。ライズはないかどうか探しているのだ。いつものさもしい釣り人根性が顔を出す。 この時、ヤンが彼のフライボックスを見せてくれた。やはり、チェコニンフやビーズヘッドが多い。伝統的チェコニンフはスカッドパターンで下巻きに多量のレッドワイヤーが巻き込んであるものを言うようだ。ドライフライもなかなか繊細であり、グレーリング釣り用であることがよくわかる。 伝統的チェコニンフ。 それじゃあと、僕は江戸指物師が作ったフライボックスを彼に見せた。彼はとても感心して写真を撮っていた。 彼は友人の情報だと前置きして、曇りや雨の日には8月でも3時頃からカゲロウが羽化することがあると言っていた。今日は曇りで時々小雨が降って、好条件がそろっていたようだ。そして、ちょうど3時にライズが始まった。ライズしているグレーリングを釣るのが一番面白い。フライとドリフトの両方がパーフェクトにいったときだけフライをくわえるからだ。羽化していたのはグレーの18-20番サイズのカゲロウだった。僕はストリームサイドスペシャルを使って1匹釣ったが、その後が釣れない。ヤンが近づいてきて 「CDCのパターンがいいんだが、あまりCDCの量が多いとグレーリングは嫌がるみたいでね。これを使ってみてください」 と言って渡されたのは細身でウィングが少なめのパターンだった。これが良く釣れた。さすがに地元のパターンは釣れると感心したものだ。 また、こんな事もあった。それは、グレーリングが必ずいると思われる瀬で、前述のカゲロウパターンを流しても出ないとき、ヤンはおもしろいフライを使った。それはCDCをウィングにしたカディスパターンだた。 「これがね、不思議に釣れるんだよ、カディスが飛んでいないときにもね。そして、ナチュラル・ドリフトよりも下流側に流しておいてチョンチョンとフライを動かしてやるとグレーリングが出てくるんだよ」 と言う。うむ、グレーリング釣りのなかなか奥が深いな、と思う。この2つのパターンをお見せしよう。 ヤン・シマンのメイフライパターン。 ヤン・シマンのカディスパターン。 下流部に移動するとふたたびライズしている場所があった。近づいて慎重にフライを流す、ガバと出る、合わせる、ところがすっぽ抜けだった。あれえ、おかしいなと思いながら、別のライズを狙う。バシャと出て、やおら竿を上げるもまたもやすっぽぬけ。 「おかしいなあ、あわせはちょうどいいと思うんだけど・・・」 「いや、遅いね」 とヤン。 ムム、ヤマメ釣りを長くやってきた僕が合わせ遅れるなんてと半信半疑だった。で、もう一つライズがあったのでそれを狙い、バシャとフライに出たときに思い切り素早く合わせた。すると掛かったのだった。もちろんグレーリングだった。ここで考えた。そしてアルフレッド・ロナルズの本(フライフィッシャーの昆虫学)に書いてあったことを思い出した。それは、”グレーリングはすばやく、ほぼ垂直に泳ぎ上がって水面の獲物を取り、180度のとんぼ返りですばやく川底に下ります。これは離れ業のような妙技であり、大きな背びれはこの動きに役に立っているように思われます。その敏捷さは驚くべきで、グレーリングは“幻影”または”サッと動いた影”のように見えます。”、”若い釣り人は、一度グレーリングを掛け損なっても、次にライズするのを待つ価値があることを学ぶ必要があります。彼が冷静さを保っていれば、一度鉤に掛かったとしても、グレーリングは釣れる可能性が高いのです。グレーリングがフライに向かって疾走するしてくることに気を取られずに、必要なときにすばやく合わせる心の準備ができていなければいけません”と。 反省するに、すでに何匹かグレーリングを釣っていたので、心にゆとりができて、合わせが遅くなっていたように思う。”フライへの出方はグレーリングはヤマメと一緒だ”ということを肝に銘じなきゃいけない。 さらに川を釣り下ると川幅は狭くなり、流れは強くなった。川岸の砂浜には動物の足跡があって、ヤンは 「これはカワウソに足跡だね」 という。僕は川岸に腰掛けて彼がニンフで急流を釣るのを眺めていた。ふと、かたわらを見ると見覚えのある花が咲いていた。ワスレナグサだった。この花は僕のマスコット・フラワーであり、世界中の川岸で見てきた。この花が咲いているのに出会えればいい釣りができると信じている。今日も8月というのに肌寒く、曇りときどき雨と釣りには好条件に恵まれたのだから。 釣りが終わり、再び草原を息を切らせながら歩いて車まで戻った。ヤンが 「晩ご飯はどうする?ホテルでもいいし、ホテルの飯が気に入らなかったら、いいレストランを知っているからそちらに行ってもいいよ」 と言う。僕は直ちにレストランに行くことを決めた。そのレストランというのは、車が停めてあるところからほんの数百メートル戻ったところにある建物だった。 愛想のいいオーナーシェフが居て日本人は初めてらしく、とても歓迎された。そして注文した手作りソーセージが感激するくらい抜群においしかった。チェコビールとの相性も良かった。ヤンは運転があるのでノンアルコール・ビールを飲んでいた。オヤジが席に来て、訪問ノートに書いてくれと言う。それではと、僕は日本語で書き、その英訳を書いて、その下にヤンが英語からチェコ語になおして書いた。一番下に僕の名刺を貼った。喜んだオヤジは特製のシュナップスをごちそうしてくれた。これがボヘミアグラスに入ってきてね、一口飲んだら口の中が燃えるように熱くなった。 「何度あるの?」 と聞くと、ヤンがオヤジに訊ねてから、 「53度だそうです」 「ナニ、そんなに!火をつけたら燃えるだろうね」 と言うと、オヤジはもう一杯持って来てマッチで火をつけたら、青白い炎がボッと上がった。 僕は勿体ないのでこの2つのシュナップスを飲み干すことにした。甘みと苦みがあり、なかなかおいしかった。ところが僕はかなり酔っぱらってしまったのだった。 オヤジがコレクションを見てくれというので別室に案内された。そこにはチェコの古い軍服が所狭しと飾ってあった。僕はふざけて軍帽をかぶったりしたら、オヤジが将軍の服を僕に着せてしまった。 大騒ぎしながら、大笑いしながら、世は更けていった。 レストランのオヤジと僕。 将軍の服を着てわざと難しい顔をしている僕。 帰り際、オヤジが新聞紙に包んだ物をくれた。プレゼントだそうだ。開けてみるとシュナップス用のボヘミア・グラスだった。嬉しかったなあ、オヤジの心意気が。 |