11月2日(日)、雨。 この日は糸島市に住むあきこさんの自宅に数人で遊びに行くことになっていて、卓史君の車に乗って糸島に向かった。アメリカ・ヒューストンから駆けつけたM吉君、ボルティモア郊外に住んでいるとこよさんもいた。姪ノ浜、愛宕山、今宿、生の松原、前原などの懐かしい地名を見ながら糸島に行き、雷山のふもとのそば屋で昼食をとり、次いで雷山観音を訪ねた。ここは紅葉が有名だそうだ。 入ってすぐのところに巨大な楓の木があり、樹齢400年だそうだが、紅葉にはまだ早く、あと10日ぐらいで見頃になるだろうとのことだった。また、母親が両乳を出して赤ちゃんを抱いている像があって、これはキリスト教のマリア様じゃないかという意見があったが、お寺の人にたずねると、あれは「慈母観音」だとのことで一同納得したものだった。 そのあと、ショッピング・センターに行って魚を買い、ワインを買ってあきこ邸に向かった。あきこ邸に着いた時にはかなり暗くなっていた。 男どもは七輪でカマスとイトヨリダイを焼き、旨い食い物が次ぎから次ぎに出て、ゴマサバも出て、ワインを数本空にした。2センチメートルくらいの赤いリンゴが乗ったアップルパイの焼きたても出た!これは旨かった!あきこさんは皆をもてなすために休み無く動いていた。 ボクはその日の晩は糸島のホテルに泊まることにしていた。あきこさんがボクに 「明日はどうなさるの?飛行機の時間は何時ですの?」と聞く。 「午後2時半ごろなんだけど」と答えると、 「それじゃあ午前中家に来てゆっくりしてくださいな、砂浜を一緒に歩きましょ」と言う。うん、そうしよう、とボクは返事をしたのだった。 結局、飲んだり、食ったり、しゃべったりで気がつくと夜の11時過ぎになっていた。で、卓史君の車に乗って引き上げ、ボクは前原駅近くのホテルに泊まった。11月3日(文化の日)。晴れ。 この日の朝、あきこさんが車を運転してボクのホテルまで迎えに来てくれた。すると、驚いたことにM吉君とM田君も一緒だった。M田君はあきこさん家のデッキの修理をするそうで、M吉君を誘ったらしい。あの出しゃばりのM田が余計なことをしてと思った。だが、あきこさんは小学校時代、とても可愛く、マドンナという感じで憧れていた男子がたくさんいたようで、ボクもそうだったんだが、どうやらM田もその一人だったことはまちがいないだろう。この日、あきこさんと川野を二人きりにさせるわけにはいかないと思ったにちがいない。男のやきもちである。 この日は天気が良く、風もなく、あたりの景色がよく見えていた。あきこ邸は志摩久家にあって船越湾に面した内海にあり、家のすぐ前には綺麗な砂浜が続いていた。2回のテラスからは眼前に静かな海が見え、絶景をほしいままにできた。 あきこさんは”海を見るのが好き”という実のお母さんのために14年前にこの土地を買って家を建てたそうで、〈母は海を見ながら私の腕の中で息を引き取りました〉と言っていた。彼女の少女時代に実の母親がどれだけ恋しかったかを知らされたのだった。 ボクは砂浜に降りてみた。砂粒はやや大きめで黄色く、角がすり減って丸みを帯びた貝殻やガラスの破片がおちていた。10センチメートルほどの石には小さなフジツボが着いていた。打ち寄せる波も白く綺麗だった。そこからあきこ邸を見ると、テラスであきこさんがM吉君の写真を撮っているのが見えた。ボクがおーいと言いながら手を振って手招きすると彼女はすぐに気がついて急いで奥に消えた。 しばらくしてツバの広い帽子をかぶったあきこさんとM吉君が砂浜に降りてきた。3人で砂浜を歩いて、写真を撮った。M田君はと言えばもくもくと一人でデッキを修復していた。 あきこさんは筑肥線前原駅までボクとM吉君を送ってくれ、M吉君は途中で降り、ボクは終点の福岡空港まで行き、空港では懐かしい「博多うどん(ゴボウ天)」を食べてから、機上の人となった。 同窓会は終わった。なんと59年ぶりのことであった。 センチメンタル・ジャーニーではあったが、古き良き子ども時代のことを共感できたのは楽しかった。3日間、飲んでしゃべって、かなり疲れたが・・・ 幹事のあきこさん、卓史君、世話係のM田君、お疲れさまでした。 どうもありがとう! とっても楽しかったよ。