だいぶ前のことだが、僕は「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」(鈴木明著、文藝春秋社、1975)という本を読んだ。タイトルに惹かれて本を買い、レコード(ドーナツ盤)も買い、曲にハマってしまった。 最近、その本をもう一度読みたくなり、本棚を探したが見つからない。そこでしかたなくアマゾンで買って読んだ。最近こんなことが多くてね、困ったもんだ。 著者の鈴木氏がこの歌を初めて聴いたのは1970年の大阪万博であり、マレーネ・ディートリッヒ自身が歌った時のことだったそうだ。彼女がショーの最後で「リリー・マルレーン」を歌い終わると、客席を埋めた紳士・淑女たちが歓声をあげて舞台の方に殺到したという。このときディートリッヒは78歳。鈴木氏はこの場に居て、衝撃を受けたという。 〈一体、これはどうなっているのだろうか。マレーネ・ディートリッヒという妖婆はどんな魔法の杖を持っているのか?僕を呆然とさせたあの曲は初めて聞いたが、一体どういう歌なんだろうか?〉 それ以来、彼はこの歌について聞き回り、ついには作曲者、歌い手、放送局、そしてこの歌についてのエピソードをたどるヨーロッパの旅に出る。そのことがこの本には綴られている。 この歌はドイツで作られ、ララ・アンデルセンが最初に歌い、ドイツ占領下のベオグラード放送局が第二次世界大戦中、ラジオで毎晩21時57分からこの歌を放送した。アフリカ戦線でドイツ軍・イギリス軍の兵士が聞き始め、口伝えで広まり、やがてヨーロッパ中で聞かれるようになり、オーストラリア、アメリカへとひろがっていった。そして大女優であるマレーネ・ディートリッヒ(ドイツ人だがナチスを嫌ってアメリカに移住して帰化した)が米軍の前線を3年間慰問して、この歌を歌い続けた。歌は国境を越えて愛され、歌詞も国によって自由に変えて歌われた。第二次大戦後の地域戦争やベトナム戦争でも歌われたらしい。この歌は戦争という極限状態で世界中で歌われたわけであり、20世紀を代表する歌のひとつと言っていいのではないだろうか。 メロディーは単純で、甘く、行進曲風で、覚えやすい。そしてそれはリリー・マルレーンという娼婦への愛の歌であった。 この歌のどこが人を惹きつけるのだろうか?人間の感性の本質がかかわっているように思い、僕は尽きない興味を感じている。 その本の中では作曲者の息子の言葉が紹介されている。 「なぜこの歌が戦いとともに歌われたのだろうかと不思議に思っています。ことによると、このメロディが人間を死に対して免疫的な心境にさせる麻薬的な効果を持っているのかもしれませんが・・・」と。 リリー・マルレーンを聴いたことのない人のためにYou Tubeのアドレスを紹介しておこう。 ララ・アンデルセンが歌ったオリジナルのもの https://www.youtube.com/watch?v=8DXruigKRRc マレーネ・ディートリッヒが米軍前線慰問で歌ったもの https://www.youtube.com/watch?v=7heXZPl2hik 倍賞千恵子が歌ったもの-巧い! https://www.youtube.com/watch?v=Qt6hE2E_Ur4 |