僕が所属している相模原市医師会の会報の来年の1月号で、年男年女新春随想という企画があって、原稿依頼が来て文を書いたので、皆さんにも披露しよう。
診療と出版社の二足のわらじ
磯部クリニック 川野信之
僕が開業したのは2000年(57歳の時)であり、はやいもので今年で15年になる。今でもときどき思い出すが、26年間勤めた北里大学での最後のころ、磯部のクリニック建築現場に向かって車で相模川の河岸段丘を降りていくと、磯部の集落が眼下にひろがり、遠くに丹沢山塊が見えると、プレッシャーがすぅっと抜けていくように感じたものだった。脳外科はもういい、充分やって来たし、これからは方向を転換して町医者になるんだと思い定めていて、”解放される”、”自由になれる”という喜びが湧いてきたのだった。
僕は渓流釣りが趣味だし、磯部は相模川の岸辺にある集落だから、クリニックの名称としてまっさきに浮かんだのは「リバーサイド・クリニック」だった。だが、英語ばかりの名では地元の人々にはなじみにくいだろうと思い、”磯部クリニック”にした。
クリニックの診療は順調で、患者さんも増えていき、内科や整形外科の本を買って勉強し、糖尿病も診られるようになった。余裕が生まれ、釣りにもよく行くようになった。
僕の釣りはフライフィッシングであり、フライフィッシング用語には英語が多く、本や広告で間違った英語が使われているのが気になっていた。そこで用語辞典を作ることを思い立ち、原書を海外から購入して、準備を進めていった(実は大学病院勤務時代から準備は始まっていた)。そして原稿はできあがり、出版社に企画書を送ったが、出版不況もあって、企画は通らず、やむなく自費出版をすることにした。そこで「カワノ・ブックス」という個人出版社を立ち上げ、2005年に「フライフィッシング用語辞典」を出版した。また、英語で書かれた釣りの古典を自分で翻訳し、2011年には「フライフィッシャーの昆虫学」を、2013年には「水に浮くフライとその作成法」を出版した。2015年には「フライに対する鱒の行動」を出版する予定だ。
100年以上も前の釣りの本を翻訳するのは興味深く、また本を作る作業も喜びが大きいが、営業・販売・集金という作業は面倒で好きにはなれない。
これらの本はフライフィッシングの世界では評判がいいようで、印刷代を回収するほどには売れている。
とまあ、この15年間、自由になる時間のほとんどを”釣り関係”につぎ込んできた。
僕は何もしないでのんびりすることができない困った性格だが、古希も過ぎたことだし、スピードダウンしようかなと思っている。ただ、何もしないで居られるかどうか、はなはだ心もとない。
二足のわらじは死ぬまで続くような気がしている。