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2014年01月11日(土) 
信濃毎日新聞 2012年9月9日付 朝刊
【みんなの笑顔が喜び】
《池宮 みきよさん100歳手作りかご通じ地域の人とふれあい》

上伊那郡飯島町飯島の自宅の周りは、稲穂が頭を垂れ始めた。「心が落ち着く」という水田風景をみやりながら、池宮みきよさんは、荷造りに使うポリプロピレン製のバンドを編み、かご作りにいそしむ。「水にぬれても大丈夫。これは便利、とみんなが喜んでくれる」と笑った。
 自宅の棚には、かごがぎっしり。手先が器用だったこともあり、「留守番をしている時の楽しみ」と20年ほど前から作り始めた。1日に数個作っては棚に並べ、訪れた人に自由に選んで持ち帰ってもらっている。夢中でつくり気が付くと夜中になっていたこともあるという。

旧下伊那郡上郷村(現飯田市)出身。3男4女のきょうだいの4女として生まれた。10歳ごろ家を離れ、諏訪市の製糸工場で働いた。その後、福井県内の紡績工場などに勤務。「家のために、家のためにと一生懸命働きました」
 福井県にいたころ、知り合った文彦さんと結婚した。戦争が始まると、文彦さんは徴兵されて満洲(現中国東北部)へ。福井で幼い長女と身を寄せ合うようにして暮らした。「空襲でパラパラパラパラと幾つも爆弾が落ちてきた。おっかなかった」その日その日を食べていけたらいい―。そう思っていた当時を振り返り、「何とも言えない気持ちになる」と瞳を閉じた。
 終戦を迎え、文彦さんが戻りほっとしたのもつかの間、1948(昭和23)年の福井地震で被災。実家を頼って一家で信州に転居した。
 飯田市での暮らしを経て、60年ほど前に飯島町へ移住。文彦さんと一緒に食料品店「池宮商店」を営んだ。「あれも欲しい、これも欲しい」という客の要望に応え、駄菓子、たばこ、文房具なども販売。いつしか、雑貨屋として地域に親しまれるようになった。
 「いろいろな人とおしゃべりするのが大好き」。店は、文彦さんが脳梗塞のため69歳で亡くなった30年ほど前まで続けた。今の町内には、歩いて気楽に買い物に行ける店が少なくなっていることが気掛かりだ。「この町がもっと元気になってくれたらいい」と願う。
 3児をもうけ、現在は三女の道子さん(63)、猫2匹と暮らす。何でも好奇心をもって挑戦する気持ちを保っている。50代で自転車に載るようになり町内の里山に一人でキノコ採りに出掛けて道子さんを心配させたことも。最近は、飯田市で暮らす妹の北原みすずさん(93)と週末に外食するのが楽しみだ。ピザやグラタン、ドリアなどの洋食も好物で、「店員さんがびっくりする」と笑う。
 3日には、長寿を祝う敬愛訪問で高坂宗昭町長と自宅で懇談。賞状を受け取り、す「涙が出ちゃう。これからも元気で暮らさなくちゃ」何度も顔を覆った。別れ際、かご作りでバンドを毎日きつく編んでいる手で、町長の手をぎゅっと握った。
〈読者投稿〉
わたしは、この記事を見たしゅん間、くわしく読んでみたくなりました。理由は、「みんなの笑顔が喜び」の言葉にひかれたからです。またこのおばあさんの温かい笑顔もすてきだなと思いました。
 この方は、「留守番をしている時の楽しみ」と20年ほど前から作り始めた手作りのかごを訪れた人に自由に選んで持ち帰ってもらっているそうです。わたしは、このようにみんなを笑顔にしてくれる方がわたしたちのそばにいてくれればすごくすごく幸せだなと思いました。
 100歳なのにこんなに元気なのは、みんなの笑顔が見られたり、いっぱいおしゃべりをしているのだからではないかと思いました。そして、みんなの笑顔が喜びと言えるおばあさんはとてもすごい人だなと思いました。
 いつまでも元気で、たくさんの人を笑顔にしてほしいです。
     丸山美保さん 10歳 長野県
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 誤字脱字写し間違いあります。

閲覧数590 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/01/11 12:14
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