この週末、博多に帰ってきた。土曜の朝には車で羽田に向かい、駐車場に車を置いてチェックインしようと思ったらJALのカウンターが見つからない。で、聞くと、別のターミナルにあるという。時間もなく、あわてて500メートルほど離れたビルに移動したものだ。 いやいや田舎者だなあと思いながら掃除のおじさんに聞くと2年前からそういうことになったらしい。 博多での葬儀は無事に済んだ。菩提寺は近代的なビルに建て変わっていた。十数年ぶりに叔母さん方とお会いしたが、みんなすでに叔父さんを病気で失っておられる。女ばかりが生き残ったというわけだ。 葬儀の後は僕の自由時間だ。実家もあるんだが長く人が住んでいないので泊まれる状態ではないらしい。中洲のホテルオークラに宿を取り、やや疲れて一寝入りして、風呂に入ってのんびりしていて時計を見ると7時10分前だった。こりゃあいかん、7時には室見川沿いの、白魚料理で有名な「とり市」という料亭で大学の同級生とメシを食うことになっていた。あわてて身支度をしてタクシーで急いだ。 よかったなあ、同級生というのは。みんな立派な肩書きを持つお医者さんなんだが、オレ、オマエで言いたい放題で言い合い、3時間があっというまに過ぎてしまった。 帰りはたまには電車で帰ろうという話になり、室見橋の中程まで来たとき、和服姿の女性が息せき切って追いついてきた。 「ああ、よかったあ、間にあわんかと思うた」 と言い、 「これ忘れんしゃったろ、大事なもんのごたるけん、届けないかんと思うてね」 見ると、僕のホテルのカードキーだった。 酔っぱらったN田が仲居さんの肩を抱いて、 「あんたいい人やねえ、よう持ってくれてくれんしゃったねえ」 彼は 「こらあ、何かせないかんよ。わざわざ届けてくれたんやから」 と僕の顔を見る。僕はどうしたものかと迷っていると、彼は財布を出して札を数枚抜き取ると遠慮する仲居さんの胸元に押し込んでしまった。僕は彼の素早さと何となくこういう事に慣れている感じを受けていた。 その仲居さんが帰った後、 「すまんな、N田君、その分払うよ」 というと 「よかよか、なん言いようとか、もう遅いよ」 と言われてしまった。 その後、彼から中洲に誘われ、彼の行きつけのバーに行き、僕は昔ときどき行っていた汚い餃子屋に彼を連れて行った。 ホテルに帰ったのは12時を過ぎていた。 久しぶりに故郷の博多に帰り、急に呼び出したのに同級生が3人も集まってくれた。うれしかったなあ。 中洲の夜景。手ブレあり。 つづく |