中日新聞 2013年1月16日付 朝刊 【「違い」を「価値」にする】 「みんなで円陣をつくって」 全盲の久保博揮さん=名古屋市昭和区=が呼び掛けると、アイマスク姿の男女7人は「ここにいます」と言う互いの声を頼りに、手をつないだ。 昨年末、昭和区のカフェで開かれたイベント。目が見えない体験を通じ、知らない者同士がコミュニケーションを図るのが目的だ。男性会社員(38)は、「初対面の人と話す方ではないが、目が見えないと素直に話しかけられる。手をつなぐのも抵抗がない」と話す。久保さんは「見えないからこそのメリットがある。障害と考えず、前向きに価値としてとらえたい」という。 久保さんは中学3年の時、同級生から何度も「気持ち悪い」などといじめられた。「ベーチェット病の症状があって顔色が悪く、人と違った」と振り返る。他人の視線が怖くなって自室に引きこもり、高校は一年で中退。19歳の時、ベーチェット病に伴う眼病で入院中、症状が進行して失明した。 その入院中、阪神大震災が起き、いじめからかばってくれた友人が亡くなった。「身近な人が死に、自分は死ぬことはできないと分かった。生きているなら、自分の存在価値をつくりたい」。盲学校、京都外国語大に進み、英語教師を目指して米国へ留学した。 その米国で衝撃を受けた。道路で誘導してくれた男性に何度も礼を述べると、「君は目が見えないことを申し訳ないと思っているだろうが、そんなことはない。君は君にしかできないことをやればいい」と言われた。「今まで社会から“してもらう”立場だった。全盲なのにすごい、と言われることで普通になりたかったけど、自分で自分を差別していたんだと気付いた」 帰国後は進路を見失い、大学卒業後はニートに。生活は昼夜逆転し、ネットラジオで自分の演奏を流したり、友人とライブをしたり。2年後、結婚を機に通信会社の特例子会社に就職。31歳だった。 仕事は障害者、高齢者向けのウエブポータルサイトの運営で、リーダーになった。同僚は身体、精神、知的などの障害者ばかり。調子が悪い人が多かったため、二人担当制とし、一人が休んでも仕事が止まらないようにしたり、会話を増やしたりするなど、職場を改善した。「僕は資料が見えないので、『あれ』『これ』では通じない。あいまいな言葉は質問して確認することで、誤解を防ぐことができた」。多様な障害がある同僚をまとめた経験を、社外でも生かそうとおもうようになった。 約1年前、障害者などの就労支援のため、日本ダイバーシティ推進協会を設立し、代表となる。ダイバーシティとは人材の多様性の意味。「障がいを違いに、違いを価値に」が目標だ。「障害者も健常者も、互いの違いを認め合い、分からないときは聞く」ことを伝えようと、一般や企業向けにイベントや研修会などを開く。今までのように支援される一方ではなく、障害者も健常者を支援する側に回ることを目指している。 久保さんが作詞作曲した歌が2010年、障害がある人のコンクール「わたぼうし音楽祭」で大賞を受賞。小学校やNPOのイベントで歌う。題は「半分ごっこ」。 ♪誰もが完璧には生きられない半分ずつ分け合って支え合う あなたがくれたあたたかさのように わたしも誰かに優しくなれたら 歌詞には、失明してから背中を押してくれた、周囲の人への感謝が込められている。 〈読者投稿〉 「みんなちがって、みんないい」。これは金子みすゞさんの詩「わたしと小鳥とすずと」の一節です。この言葉を初めて目にした小学3年生の頃、違いがいいなんていって何でそんなことが分かるんだ、何も理由がないじゃないか、と思ったものです。 しかし、「違い」を「価値」にする、との題字を見て私はハッとなりました。違いを違いのままでなく「価値」として受け入れようとする。それが障害からくる違いでもいい、食べ物の好みの違いでもいい、その人がその人であることの価値なんだと気付いたからです。同時に、私はHAPPYな気持ちになりました。だって、違いを価値として受け入れるということはそれだけ私たちの周りが価値あるものでいっぱいになるということだから。そして、自分が価値ある存在ということにもなるから。 今生きるたくさんの人たちが「違い」を「価値」にすることを願います。 福井あいしゃさん 16歳 愛知県 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |