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2014年05月31日(土) 

第一章気づくこと
   運を引き寄せる

 プロに入って3年目のころまでは験を担いでいた。朝目覚めてから、すべてを同じ順番にこなさないと気持ちが悪かったのだ。例えば靴下を履く順番も、右から履いてヒットを打てなかったら、次の日は左から履いてみる。神宮球場への道順も、結果次第で変えていた。気づけば、そんなルーティンがどんどん増えていった。
 ところが、ある時期を境に験を担ぐのを止めた。「俺、なんのために練習しているのかな」と思ったのがきっかけだった。験を担ぐだけでヒットを打てるなら、練習はしなくていい。そう思ったらアホらしくなって、ルーティンを守ることを止めたのだった。現役時代、宝くじを買うことは絶対しなかった。自分が持っている運を宝くじで使いたくないという思いからだった。
 幸運を呼び込もうとかは思うことはなかったが、入団三年目のシーズン中にお参りに行ったことがある。31打席連続で安打が出ず、そのうち7個か8個はヒット性の当たりが野手の正面をついたりという「ハードラック」な打球だった。
「お前、何か呪われてへんか?お参りにでも行ってこい」
 当時の野村監督には、冗談ぽくそう言われていた。ちょうど8月から9月につきが変わるタイミングで、嫁さんと「ちょっとほんまに行ってみようか」と話してお参りしてみると、9月の月間打率は4割近くと打ちまくったのである。これにはさずがの私も信じそうになった。だから、次にバッティングの調子が出ない時に、もう一度お参りに行ったのだが、今度は効果がなかった。もともと面倒臭がりな性格の私は「やーめた」と、それ以降お参りするのを止めてしまった。
 プロ野球選手には験を担ぐ選手が多い。個人の名誉のため名前は伏せるが、なかにはトイレで大便を流さない選手もいた。たまたま慌てていてトイレの水を流さなかった試合で3安打したのだが、次の日も験を担いで流さなかったのである。これにはチームメイトも迷惑した。その選手は試合後、神宮球場からクラブハウスへ帰る道順にもルーティンをつくっていた。そこまで行くと、なんだか感心してしまう。
 結局、運を引き寄せるのは自分の生活態度だと思っている。野球に対する姿勢であるとか、日頃の行いが運を左右する。結果が出ないからといってグラブを投げ捨てたり、バットを叩きつけるのはよくない。道具に当たったら、罰が当たるのである。
 この「罰が当たる」という意識が大事だと思っている。道路に唾を吐いたら、罰が当たる。そういう日本人が古来よりもっていた精神が今は薄れてきているように感じている。お天道様に見られているということを意識するというか、そういう部分がなくなってしまっているようにも感じる。
 私も小さいころは土着的な迷信のようなものを信じていた。新しい靴は夕方に下してはいけない。下ろす時は、後ろに墨をつけないといけない。実際に墨をつけることはなかったが、代わりにマジックで書いていた。
「野球の神様」という表現があるのも野球ならではだ。「サッカーの神様」といったら、ペレだったりジーコだったりになるのだろうか。マラドーナの「神の手」は本来、反則だ。神様がいるのは、「土俵の神様」を祀る相撲くらいだろうか。そういう意味でも、野球は日本に根ざした国技なのだと思っている。
だから、グランドに入る際には一礼して、出る際にも一礼するのだ。例に始まり礼に終わるのは、武道の精神にも通じる。野球で運を引き寄せるのは、やはり普段の行いだと思う。
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 誤字脱字写し間違いあります。


閲覧数791 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/05/31 11:54
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