第四章 攻める意識 苦手だった投手、得意だった投手 19年間の現役生活で最も苦手だった投手を一人挙げろと言われれば、意外な選手の名を挙げたい。中日の鈴木義広は、顔も見るのが嫌なほど苦手だった。身長188センチと大柄で、横から変則的に投げる右投手なのだが、17打数で1安打しか打つことができなかった。 基本的にサイドスローとアンダースローはあまり好きではなかった。こうやって打てば対処できるのではないかというのがやっと分かったのが、現役を引退する三、四年前のことだった。その答えは、その場でトスバッティングをする意識で打つこと。タイミングをあまり取ろうとせずに、トスバッティングの要領で弾き返すことだった。 サイドスロー、アンダースローに対しては、ムキになってインコースの球を打ちに行くと必ず詰まらされてしまう。渡辺俊介(レッドソックス傘下)や牧田和久(西武)120何キロの玉で詰まらさせている。 これも、打者心理を利用した錯覚を使っているわけだ。いつもの感覚で打ちにいくから、思ったよりも身体の軸が投手側に引き出されてしまう。アンダースロー多くは、プレートの一番右側を使って投げているので、物理的にも右打者の内角に距離が近い。さらにはボールの出所が見づらいので、よくボールを見ようとする。必然的に身体が開いて、ボールを待ってしまうのである。 自分からボールと距離を縮めるから、球速以上に速く感じてしまう。その場で待っていれば130キロのボールが、体感で150キロぐらいに感じてしまうわけだ。 サイドスロー、アンダースローではないが、和田毅(カブス傘下)や杉内俊佳南(巨人)、打ちに行くと詰まらされてしまうことが多かった。球持ちがいい投手に共通することだが。想像よりも打者側でリリースしているため、思ったよりも差し込まれてしまうのである。 反対に得意にしている投手もいた。PL学園高校の先輩である桑田真澄さん(元巨人)とは不思議と相性がよかった。最初は後輩ということで打たせてくれていたのかもしれない。もちろん、最初は舐められていた部分もあったと思うが、それがいつの間にか相性に変ってしまった。 桑田さんからヒットを打てた時は、本当にうれしかった。桑田さん、清原さんのKKコンビに憧れてPL学園高校にはいって、その人たちとプロ野球の舞台で対戦できるのである。桑田さんからは98年9月28日、03年6月12日に本塁打を打つことができた。二本とも東京ドームだったのだが、打球がスタンドに飛び込んだ時の感覚は特別のものがあった。 PL学園高校でいえば、後輩の前田健太(広島)とも相性はよかった。シュートを覚える前は真っすぐとスライダーが中心だったので、カーブやスライダーが得意の私と球種があっていたからだ。最近になってシュートを覚え、チェンジアップの精度が上がってからは攻略が難しくなっていた。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |