第四章 投手との情報戦を制す 投手のわずかな癖から、球種を見抜けることがある。そこはコーチ、スコアラー陣の腕の見せ所である。試合の映像を何度も見直し、攻略の糸口を探している。 ID(インポータント・データ)野球と呼ばれた1990年代は、チームとして徹底していた。1995年に広島で15勝を上げたロビンソン・チェコは、グラブの中でボールを握った時の腕の角度で球種を見分けることができた。チェコがヤクルト戦を苦手にしていたのには、理由があったのだ。 広島といえば、同年に14勝を上げて新人王に輝いた山内泰幸にも、本人が気づいていない癖があった。彼はワインドアップで振りかぶる時に特徴があった。グラブ中を見ながら腕を上げたら直球、見ないで腕を上げたら変化球というものだった。おそらく、最初は打者を惑わすためにやっていたのだろう。「変化球の握りを確認しているよ」と見せている時は、反対の直球が来る。逆に確認していない時は、変化球が来る。無意識のうちのそれが癖になっていたのである。 もちろん、味方が気づいて修正して来ることがある。そんな時は、また別の癖を探さなければいけない。情報戦はつねにいたちごっこだった。 癖ではないが、相手投手の性格から配球を読むこともある。それがうまく回ったといえるのが、2012年6月13日の楽天戦で、田中将大(ヤンキース)から四安打した試合だった。 第一打席はインコースのスライダーを中前打、第二打席はバスターエンドランで中前打した。 次の第三打席では、それまでに二本打たれているので、「負けず嫌いの田中の性格なら絶対にインコースに来る」と思っていた。ある程度内角へのシュート、ツーシームを予測したなかで、読み通りに内角のボールを中前に打つことができた。 第四打席、今度は「もう一本打たれるのは嫌だ」と考えていると想像できた。それまでの配球に曲がり球が少なかったので、変化球を待とうと思っていた。そこに来たスライダーを、また中前打することができたのである。 最初の打席でインコースのスライダーを安打できたことで、第二打席からは自分のペースで打席を運ぶことができた。これほどうまく運ぶことはシーズンでもそうそうあることではないが、2013に連勝記録をつくった田中から四安打できたのはいい思い出になった。 当日は東日本大震災以降に支援を続けている気仙沼リトルシニアの選手たちをクリネックススタジアム宮城に招待していた。子供たちにちょっとは格好いいところを見せられたと思っている。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |