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2015年11月12日(木) 
サラダ農園に行ってみた。東京電力福島第一原発から10数キロ。避難指示解除準備区域として今も宿泊を制限されている福島県浪江町の海岸部で、いちはやく農業を再開した農園だ。事業主体であるNPO法人Jⅰnの川村博代表(59)は、花いっぱいのふるさとを創るのが夢。開園から2年半、事業は順調かーー。
出迎えてくれた川村さんは「ひどいことになりました」と、いきなり顔をしかめた。
茨城県で鬼怒川の堤防を決壊させた集中豪雨は、福島県沿岸地域にも被害をもたらした。川沿いにあるサラダ農園の畑は1メートルも冠水し、ビニールハウスの中で出荷を控えていたトルコギキョウ、リンド―などの花は泥をかぶってほぼ全滅した。飼育していたウサギ、ニワトリも大半が溺死したという。それでも「まあ、次から次へと難題がやってきますね」と、あまりへこたれた様子がないのが、多分、この人の真骨頂だ。
震災前、川村さんはこの場所で高齢者や障害者のデイサービスやリハビリの施設を運営していた。避難先の福島県郡山市などでもデイケアセンターを開設するなど福祉事業をつづけたが、高齢者、障害者は慣れ親しんだ畑仕事をしたがった。
2013年4月、浪江町への出入りが許可されると、元の事業所に隣接していた畑でトマト、ナス、トウガラシなどの野菜を作り始めた。高齢者をバスに乗せて浪江町まで連れてきた。農作業を手伝ってもらうと「久しぶりに浪江で畑仕事ができた」と涙を流して喜んでくれた。
だが順風満帆では進まない。8月、福島第一原発3号機のがれき処理が始まると、トウガラシから基準値をわずかに上回る放射性物質が検出された。野菜の出荷は見送られ、ニワトリの餌になった。
仕方なく考えたのが、人が口に入れることがない花卉の栽培だった。収益性の高いトルコギキョウやリンドウ、ストックなどの栽培に取り組み、昨年8月に、初めてのトルコギキョウを出荷した。
そこへ今回の水害。だが、くじけている暇はない。「町が存続していくためには、新規の若い住民をいかに呼び込めるか、農業で750万円程度の年収を確保できるようにする。そして、花いっぱいの文化的な町にする」(福島特別支局・坂本充孝)
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写し間違いは判断して見てね。
「難問の答え農業に」という見出しだったので農家だった私の目に映った、ただそれだけの理由で写しただけですが原発事故の怖さあらためて感じた次第です。
今日の新聞には小泉純一郎元首相が「再稼働 信じられない」と静岡市のグランシップで講演。(ついでに写して見ます)
「中部電力浜岡原発は世界で一番危ない原発。再稼働させるなんて信じられない」と力説した。東京電力福島第一原発事故後、脱原発を訴え「日本の歩むべき道」をテーマに全国で講演を続けており、県内では初めて。
 「首相の時は、原発は安全でコストが低く、永遠のクリーンエネルギーだという専門家の意見を信頼していた。原発事故後に勉強し、うそと分かった」と強調。「無責任という人もいるが、うそと分かったのに引っ込んでいる方が無責任だ。私は一人になっても脱原発をやる」と語ると、聴衆から拍手が沸いた。
 日本の水力や太陽光、地熱、バイオマスなど自然エネルギーの技術は進歩し、世界が見習っていると指摘。「原発事故後、ほとんど原発は動いていないが一度も停電もない。ゼロでやっていけると日本は証明した。自然エネルギーをもとに良い社会をつくっていけたら」と締めくくった。(中日新聞34ページ)

閲覧数1,194 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/11/12 16:09
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