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第一章 運を引き寄せる気づくこと プロに入って3年目のころまでは験を担いでいた。朝目覚めてから、すべてを同じ順番にこなさないと気持ちが悪かったのだ。例えば靴下を履く順番も、右から履いてヒットを打てなかったら、次の日は左から履いてみる。神宮球場への道順も、結果次第で変えていた。気づけば、そんなルーティンがどんどん増えていった。 ところが、ある時期を境に験を担ぐのを止めた。「俺、なんのために練習しているのかな」と思った … [続きを読む] |
明日は6月1日 ここ一年余り毎月一度朔日に日の出頃に起きようと決めていたが都合で一日前倒しして明日の分を今日早起きした。理由はカミさんが今夜外泊するから、毎回、一人で行って来ているので出来ない事はないのだがもしもの時には困るからね、というわけ。 6月1日は、年始から152日目年末まであと213日ある。 静岡の日の出は4時34分、日没は18時55分。 ●童謡・唱歌 「夏は来ぬ」 卯(う)の花の、匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ さみだれの、そそぐ山田に 早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗(たまな … [続きを読む] |
第一章 準備が意識を変える気づくこと 準備と意識は似ている。野球という競技が他のスポーツと少し違うのは、プレーの最中に「間」が多いことだ。それだけ考える時間があり、準備をする時間がある。どれだけ意識して準備できるかが、結果を左右するわけだ。 意識を変えるためにはどうすればいいのか。凡打が続いたり、エラーをしたりと結果が出ない時に心がけていたのは、「できることをきちんとやる」ということだった。 野球だったら、基本に … [続きを読む] |
第一章 普段の行動こそ、野球の原点気づくこと 私の座右の銘は「球道即人道」である。 この言葉はPL学園高校時代の恩師である中村順次監督(現・名古屋商科大学野球部監督)がよく口にしていた言葉で、卒業生には「球道即人道 中村順司」と筆で書いた色紙をプレゼントしてくれていた。元々は野球に力を入れていた御木徳近(みきとくちか)教祖の言葉で、感銘を受けた中村監督が部訓として使っていたのだそうだ。 野球に打ち込む姿は、人生に向き … [続きを読む] |
第一章 気づくこと 24時間考える 気づきの瞬間は突然訪れることが多い。 ヤクルト入団後、野村監督から「評価は人がするものだ」「変わることを恐れるな」と教わってきた私だが、プロに入ってから、ひとつのターニングポイントがあった。 二年目の、アリゾナ州ユマで行われた春季キャンプ中のことだ。野手全員で盗塁の練習をしたことがあった。ピッチャー役をバッティングピッチャーが努めて、キャッチャーは若いキャッチャーが守備位置に着いていた。キャッチャーが盗塁を刺すための練習である。 ランナーが絶対に走ってくるこの状況では、ピッチャーが投げてから … [続きを読む] |
第一章 気づくこと ボールを胸元に放らないと捕ってくれない先輩 野球をプレーするうえでの基本は、キャッチボールだ。野球経験がある方なら分かると思うが、ボールを狙ったところに投げることは簡単なようでいて難しい。 高校時代を過ごしたPL学園高校には、一学年上の先輩に、後にプロで活躍する立浪和義さんや片岡篤史さん(元阪神)、野村弘樹さん(元横浜)、橋本清さん(元巨人)がいた。吹田市の実家を出て寮生活を送っていたのだが、上下関係にはとても厳しいものがあった。 シートノックでの出来事だった。シートノックとは、各選手が自分のポジションの … [続きを読む] |
第一章 気づくこと 言い訳を叱責される 2004年のアテネ五輪、08年の北京五輪で日本代表チームのキャプテンを務めていたことから、私にはリーダーとしての資質があったと思われている方もいるだろう。口やかましいイメージがあったせいか、40歳を越えたあたりからは「球界のご意見番」としてメディアに意見を求められることも多かったが、とてもではないが、チームを引っ張っていくようなタイプの選手ではなかった。 アマチュア時代にはよく怒鳴られていた。 自分のなかで「これは変わらなければいけないな」と気づくことができたのは、同志社大学でのある経験からだった。 一 … [続きを読む] |
それでは優勝インタビューです。 白鵬関です。 優勝おめでとうございます。 どうもありがとうございます。 拍手 29回目の優勝というのはいかがですか?そうですね先場所はだめでしたけれど今場所は29歳で29回の優勝、うれしいです。 拍手 ついに30回の大台も目前に迫ってきましたね。 私は、そういう数字は頭で考えないで心のどこかで、しまっておいて何て言うのかな…ことばで言わずに頑張っていきたいなと思います。 拍手 きょうはモンゴルからお父さんとお母さんいらしてその前での優勝喜びもひとしおじゃないですか。 おやじが体を悪くして2年ぶりに日本に来 … [続きを読む] |
第一章 気づくこと 「理」を支える「情」 ある時、ミーティングで野村監督がおもむろに選手たちに尋ねてきたことがあった。 「打者として一番嫌いな球種は何か?」 一呼吸、間を置いた野村監督は続けて言った」 「打者にとって一番嫌いな球とは、投手にとって一番効果的な球である」 そしてミーティングの末に導き出された答えが、右打者であれば内角へのシュートだった。その考えを自分のものにして蘇ったのが、川崎憲次郎だった。シュートを覚えた1998年に17勝を上げ、最多勝と沢村賞に輝いたのだ。 「自分が嫌なことは相手も嫌がる」 「相手のエースを打ち崩すと、 … [続きを読む] |
夜泣き石 旧東海道の中山峠に夜泣き石伝説がある。その昔、安産祈願の女性が山賊に殺されてしまい、女性の霊が石に乗り移った。石からは夜ごと泣き声が聞こえ、その声を聞いた近くの寺の和尚が、女性が産んだ子どもを見つけて育てた―というのがあらすじ。 子どもを育てたとされるあめが名物になるなど、地元で伝説の存在感は大きい。石は明治や昭和時代に、東京での博覧会や物産展に出品され、それをきっかけにした所有権確認をめぐる裁判が起きたことも初めて知った。「石の存在はこの地域の財産」という郷土史研究家の言葉が耳に残る。 そんな背景を知るよしもなく … [続きを読む] |
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