忙しいと自分を見失うときがありました。
若い時は子育て、仕事、家事と良く体が動いていたかというぐらいでした。家で苺栽培をしていたので、それを手伝いながらと・・・・
今はお陰様でなんとか仕事もあり、遊びもありと良い環境です。
そして、野菜作りも有難いと思ってます。
家の周りに畑があるおかげでこうしてやれています。
「お忙しいですか」とあいさつされたら、なんと答えるか。作家の塩野七生さんは外国人が集まるシンポジウムで会場に問い掛けた、と随筆にある。返事はそろって「不幸にして」。日本では違う。「おかげさまで」。つまり「幸いにも」なのだと教えると、ほぼ全員が<口をポカンと開けたのでありました> ▼アダムとイブが罰せられて楽園を追われたため、人は働かなければ生きていけなくなった。労働を避けたいものと捉える心性は、日本人と異なると説明したそうだ ▼多忙を尊ぶ心の持ちようは農耕民族ゆえだろうと、どなたかの論考に学んだ覚えがある。商人(あきんど)の語源は「秋にやってくる人」だとする説がある。収穫期に農村を訪ね、商う人だからだそうだ。農家の軒先から「おかげさまで」の声が聞こえる景色を想像してみる ▼労働への思いも変わろうとしているのだろうか。きょうは勤労感謝の日。働くことが曲がり角にある中での祝日だ。年を取っても働き続けるための改革が、進もうとしている。外国人労働者の受け入れ拡大の流れもある ▼少子高齢化で変化は避けられないとすれば、厳しい望みではあるだろうが、外国からの人にせよ、わが国で「不幸にして」働く人が増えないことを願う。すでに、生きるために、やむなく働くお年寄りも多い ▼「お忙しいですか」という声に、笑って返事ができる世の中がいい。 × × きょうの中日新聞のコラムをコピーしただけです。すみません。
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