朝日新聞 2012年8月3日付 朝刊 【内村 究めた美】 内村が日本人選手28年ぶりに手にした男子個人総合の金メダルは「美しい体操」を目指し、努力を重ねた証だった。 3歳から両親が営む教室で、内村は体操を始めた。泣き虫で、技の習得も同じ年頃の子どもより遅かった。 優れていたのは、「イメージ力」だ。6歳のとき、福岡であったユニバーシアードを観戦しに行った。「早い時期から美しく良い演技を見せたかった」と父・和久さん。当然、そんな技はできない。だが、見ることで、イメージはつかめた。 小学生時代の内村の自由帳には、連続写真のように技を切り取ったイラストが残っている。「ずっと、熱心に描写していた」と母・周子さん。 立体化した動きは、ぬいぐるみの形をかえながら確かめた。内村によってこねくり回されて黒く薄汚れた「ピンクパンサー」は今、埼玉・草加の一人暮らしの自宅にある。 東京へ体操留学した高校時代は、美しい体の線を造ろうと両足をしばって寝た。「たぐいまれな空中感覚とピタリとそろった両足」という内村の持ち味は、こうして育まれた。 日体大へ入った当初は、好きな練習ばかりしていた。2007年、大学1年で出場したユニバーシアードの事前合宿で、心を入れ替えた。同じ場所で、アテネ五輪金メダルメンバーの冨田洋之、鹿島丈博らが練習していた。その練習量に、がくぜんとした。「この人たちを超えるには、この人たちよりもやらなきゃダメだと思った」。練習の虫へと変貌し、「美しい体操」はさらに研ぎ澄まされた。 2008年北京五輪は、無欲の銀メダル。世界選手権3連覇の実績を引っさげ、「日本の顔」として乗り込んだロンドンは、金メダルまでつらく、苦しい道のりだった。 「応援してくれた人に、ただただ、ありがとうと言いたい。これからも体操人生は続く。その中の演技で、みなさんに恩返ししていければ」 解放感の漂う笑顔だった。 (藤原真人) 〈読者投稿〉 ぼくは、体そう男子個人総合で金メダルをとった内村選手の新聞記事を読んで、HAPPY気分になりました。 この金メダルが、日本選手28年ぶりということに、おどろきました。テレビで内村選手のえんぎを見て、人間とは思えない美しくすばらしいわざで、すぐに新聞を開き、この記事を見つけました。記事には、内村選手の小学生時代の自由帳がのっていて、子供のころから体そうに夢中だったことが分かりました。 ぼくも内村選手のように、オリンピック選手になれるよう努力したいとおもいます。内村選手の歩みがあり、金メダルまでの道のりは、つらくくるしいことが分かりました。体そう男子団体では、ミスがあり完ぺきなえんぎができませんでした。それらを乗りこえて金メダルをとったことは、とてもすばらしく、ぼくの気持ちをHAPPYにさせてくれました。 奥野僚太さん 10歳 埼玉県 × × 誤字脱字写し間違いあります。 京都・都大路が舞台の第25回全国高校女子駅伝、島田は28位常葉菊川は18位でした。 |