産経新聞 2012年8月12日付 朝刊 【迫田 仲間思い強烈スパイク】 背番号14が何回も宙を舞った。切れ長の鋭い目でボールを追い、右手から放たれたスパイクが韓国コートに何本も突き刺さった。挙げた得点は実に23点。火の鳥ニッポン攻撃を支えた迫田さおり(24)は深紅のユニホームの下に13番のユニホームを着込んだ。ベンチはおろか、選手村にも入れなかったサポートメンバー、石田瑞穂(24)のものだった。 「瑞穂がついていてくれた」。試合後、はじけるような笑みを浮かべてこう話した。「ISHIDA」の名前が入ったユニホームをぎゅっと握りしめ、テレビカメラに押しつけるように。 最終メンバー12人からもれた石田。しかし、真鍋正義監督の「13番目として連れて行きたい」という熱意にほだされ、ロンドンに付き添った。裏方としてサポートに徹した。 「瑞穂が会場にいなくても、13人で戦っている。瑞穂の力も借りて」 ロンドン五輪開会式の当日、母が危篤となり急遽、帰国した石田。銅メダルの瞬間を待たずに、離脱した同い年のチームメイトの思いが胸に宿っていた。 迫田が仲間を思う気持ちは、高校生のころから変っていない。「あれぐらいのレベルの選手になると、目立ちたがるのが当然。でも、迫田は周囲を引き立てるのが好きなタイプだった」。鹿児島西(現・明桜館)高校バレー部の監督だった西村信一さん(66)は高校生だったころの迫田の印象をこう語る。 1回戦負けが当たり前だったチームをインターハイ県予選で準優勝するまでに引き上げる原動力となった。それでも、幼いころ生花店で働くことを夢見ていたおっとり型の少女が、前に出ようとすることはなかった。「主将をやらせようと思っても、『いいえ』。日本選抜に呼ばれても『自分には向いていない』と断った」と西村さんは振り返る。 それだけに教え子の活躍はまぶしかった。「最高のプレー。最後のガッツポーズでは僕も飛び上がるくらい。夢見る気持ちだ」 目立ちたがらない女の子がロンドンのコートで世界の視線を一身に集めた。その愛称は「リオ」。そして4年後、再びめぐってくる舞台はブラジルのリオデジャネイロ。さらなる高みへ、リオは飛躍する。 ○○〈読者投稿〉 バレー女子「銅」という小見出しが私の目に留まり、肩を抱き合い喜ぶ選手の写真に私まで心が躍った。 この韓国戦で活躍したのは、迫田さおり選手だ。小柄で、代表選考でも当落線上にいた。その迫田選手は、自分の14番のユニホームの下に13番のユニホームを着ていた。その13番の選手、それは石田瑞穂選手だった。代表選考からもれたが、ロンドンまで同行し選手のサポート役に徹していた。しかし母親の危篤により、メダルを見ることなく帰国。 その記事を読み、チーム全員でとったメダルだったことに感動した。 スポーツの世界では、レギュラー争いなど、たとえ仲間であっても押しのけえていくものだ。しかし、迫田選手は、仲間の思いも忘れなかった。石田選手の思いを背負いながら、あのスパイクを打ち、見事に勝利したのかと思うと、あの銅メダルの重さが一段と胸に迫ってくる。感動を倍増してくれたハッピーニュースだ。 増渕安菜さん 18歳 東京都 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |