渡り鳥の北帰行もそろそろ終わる頃だろうか。去ってはまた来（きた）る鳥を見守る日本人の心のやさしさに触れた噺（はなし）がある。落語には珍しく水戸黄門が登場する「雁風呂（がんぶろ）」だ。
　身分を隠してお忍びの旅を続ける黄門公。東海道は遠州掛川宿に近い茶店で休憩をとる。奥の小上がりの座敷に通された黄門公は、場所柄少し不似合いな屏風（びょうぶ）に目をとめた。
　狩野派の高名な絵師の筆に間違いはないが、黄門公が不思議に思ったのはその図柄。
　浜辺の松に雁とは妙じゃ。雁ならば月、あるいは水辺の蘆（あし）との取り合わせが定石だ。松ならば鶴であるはずが、どうして雁なのか。助さんと格さんに尋ねたが、あの二人、黄門公よりインテリではない。
　そんな会話が座敷の手前の腰かけで休む上方者（もの）の二人連れの耳に入った。お侍はモノを知らんなあ、あれ、箱館（函館）の雁風呂やないか。小さな声で言ったつもりが黄門公に聞こえてしまった。そこな町人、遠慮には及ばぬ、ここへ来てこの絵の意図を教えてくれ。
　はい。雁は海を渡るとき、一本の松の枝をくわえるのだそうで、疲れたならば枝を波に浮かべ、それにとまって翼を休めます。冬を日本で過ごして北へ帰るとき、また枝をくわえて旅立ちますが、あとにはいつも多くの松の枝が残るそうな。ああ、これだけの雁が日本で命を落としたのか―と箱館の人々は不憫（ふびん）に思い、供養のためにその枝で風呂を焚（た）いて疲れた旅人をもてなすのだとか。それにちなむ「雁風呂之図」と申します。
　聞いた黄門公は納得し、感謝した。そしてこの教養豊かな町人が、かつてぜいたくな生活をとがめられ、幕府から取りつぶしを受けた豪商・淀屋辰五郎の二代目とわかり、黄門公のはからいで以後ささやかに社会的復権を果たす。
　伝統的な日本画の題材とそのセオリーを考えさせる上品な噺で講談から上方落語になったが、今では六代目三遊亭圓生を継いで三遊亭圓窓がやるくらいだろう。
　雁が枝のサーフボードで休むというのは多分に想像上のことだろうが、残った枝から多くの雁の死を知り、供養のための風呂を焚くという行為が、自然をいつくしむ日本の心を表しているように思う。
　かりに絵空事だとしても、心がなければこうした噺は生まれない。黄門様はいつも日本の長所の引き出し役だ。
　（きょうす・ともみつ＝落語評論家）
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　昨日の中日新聞です。
写し間違いあります。
「東海道は遠州掛川宿」の文字が目にうつり写す気になりました。