第二章 気づかせること 言葉以上に雄弁なものがある 今でも忘れられない光景がある。アテネ五輪の予選中、ベンチで長嶋茂雄監督が声を嗄らして叫んでいた。三試合ともベンチに座ることなく、大声でワンプレーごとに励ましを送っていた。それも私たちが仲間同士で使う「よし、行こう」といったかけ声を出し続け、最後には声がつぶれてしまっていた。あれだけの人でも、それだけのプレッシャーを感じる。日の丸を着けて戦うということは、それだけ重圧がかかるということだ。 私は、アテネ五輪の予選わずか三試合で、体重が4、5キロも減ってしまっていた。嫁さんに「パパのあんな怖い顔は初めて見た」と言われたほどだった。 予選の中国戦、一塁へヘッドスライディングをしていた。なんとか塁に出てクリーンアップに回したいという気持ちから自然に出たプレーだった。シーズン中であれば、怪我を考えて危険なプレーは避けるのだが、身体が自然に反応していた。また、シーズン中には守らないセカンドの守備に関しても、いいプレーをしようとはまったく思わなかった。とにかく最低限、ミスをしないことだけを心がけた。 ベンチの雰囲気も最初は緊張感から重かったが、ひたすら声を出していこうと心がけた。とにかく一生懸命プレーする姿勢が大切だと思った。 日本代表のキャプテンと所属チームのキャプテンとでは、大きな違いがある。 「各チームの主力が集まる代表のキャプテンは、大変だったでしょう」 アテネ五輪出場を決めた後、たくさんの人たちからそう聞かれた。ところが、実際にやってみて感じたのは、日本代表のキャプテンは、所属チームのキャプテンよりもやりやすいということだった。 極端な言い方をするなら、所属チームには「共通の言葉」がない。チームの中には、いろいろな立場の選手がいる。ベテランや若手、これからレギュラーを獲ろうとしている選手がいれば、今年成績を残さなければクビになる選手もいる。年齢や出場機会、もらっている年棒は、選手によってさまざまだ。 それぞれの立場があるだけに、同じ言葉でも受け取り方は変わってしまう。「チームのためにがんばろう」と言っても、感じ方は選手によって違うのである。 でも、日本代表は違った。代表の目的は、勝つことだけだ。代表では誰が抑えようが、誰が打とうが関係ない。結局はチームが勝つか、負けるかでしか評価されない。「チームのために」「勝利のために」という「共通の言葉」があった。 それぞれのチームの中心選手である選手たちは、そのことが分かっていた。日本代表というものの重みさえわかれば、自分たちがやるべきことはおのずと見えてくる。 後にヤクルトでチームメイトになった相川亮二(当時横浜)は、試合出場の機会がないにもかかわらず、進んでブルペンでボールを受け続けていた。打撃投手を買って出る選手もいた。それぞれの立場で、役割をこなそうとしていた。 ゲームに出ていない選手もゲームに出ている感覚でいてくれて、同じ気持ちで21人が戦えた。代表の試合では、控え選手の意識が大きくチームに影響を与えると痛感した。 チームをまとめていくうえで、高橋由伸、和田一浩(当時西武)という二人がいてくれたのは、大きかった、どうしても、キャプテン一人だけでは目配りができない部分が出てくるものだ。どうにもならないところが出てきた時に、サポートしてくれたのが彼らだった。 由伸は頼りになった。やはり、巨人の選手は日本代表のような場所に行くと、しっかりしている。普段から重圧にさらされているせいか、周囲への気配り、マスコミへの対応という面でも信頼して任せることができた。 和田とは共通の知り合いがいて、私がいないところで「ああいうタイプの人は初めてです」と話してくれていたそうで、オフにゴルフを通じて打ち解けることができた。親しみを込めて「ベンちゃん」と呼んでいた。 大会中、二人には愚痴をこぼすことができた。どうしていったらいいかと相談することができた。価値観が近く、気心の知れたサポート役を持つこと。これも、リーダーとしてチームをまとめていくうえで、とても大切なことだと思う。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |