第三章 守る意識 忘れられないエラー 忘れられないプレーを聞かれたら、同志社大学時代の最後の試合でのプレーを挙げる。4年生最後の大会は、私のトンネルで負けてしまった。あのエラーは今でも忘れられない。一、三塁でバックホームの場面だったのだが、少し焦っていたこともあり、打球のバウンドに合わせることができなかった。上からグラブで押さえつけるような形になってしまった。本当のあっという間にボールが股の下を抜けていき、試合が終わってしまった。 勝っていれば、もう一試合プレーすることができたのである。私は社会人野球のプリンスホテルに進むことが決まっていたが、この大会を最後に野球を終える選手が大勢いた。ボールが抜けていった後、その場に崩れてしまったのだが、あの時の感覚は今でも記憶に残っている。 プロに入ってからエラーした時は、とにかく練習するしかなかった。エラーをしたことでチームに迷惑をかけているので、特にピッチャーにはすぐに謝りに行った。彼らも生活をかけてプレーしている。エラーが失点に絡んで、来シーズンの契約ができない選手もいるかもしれない。もちろん謝って済む問題ではないのだが、やはり一番最初にマウンドに向かった。 その時の反応は、投手によってさまざまだった。「OK、OK」と受け流す選手もいれば、露骨に不機嫌になる投手もいた。最も印象に残っているのは、1995年に近鉄から移籍してきた吉井理人さんだった。気性が荒いことでも有名だった吉井さんだ。怒鳴られることを覚悟していたが、たった一言かけられただけだった。 「みやーん、次、ちゃんと守ってな」 吉井さんがヤクルトに移籍してきたのは、私が入団した年と同じ。試合後にはいつもタクシーで一緒に帰っていた。その車中で、プロフェッショナルとは何かを学ばせてくれたのが、吉井さんだった。「命をかけている」と直接言葉にすることはなかったが、それぐらい真剣に野球に取り組んでいるのを感じていた。 それをエラーで邪魔されるわけだから、内心、腹は立っていたと思う。それでも、試合後に私が室内練習場に残って練習している姿を見て、認めてくれていたのだろう。エラーを責めることはしなかった。 練習をしていない人にはどうだったか?それはもちろん、すごい形相で怒っていた。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |