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2008年09月16日(火) 



暗記と受け売りの勉強は空しい。
どんなに数多くの方法を挙げることができても、それを実行する意思がなければ現実の結果は得られない。
意思のあるところに現実対応の方法がある。(Where there’s a will, there’s a way.)
意思は未来構文の内容であり、日本語には未来構文がない。だから、日本人は方法を実行に移す段階で頓挫する。
意思の内容を明らかにすることのできない人物に民の信頼は集まらない。
政府は問題の先送りと積み残しを繰り返して、問題は山積する。
金余り現象はあっても、その金を景気回復の起爆剤として利用することは難しい。


閲覧数1883 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2008/09/16 09:46
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2008年09月15日(月) 



(A) 日本人は、'現実'と'考え (非現実)' を分けることができない。
現実だけを考えれば、矛盾がない。
現実に考えた内容 (非現実) を入れると矛盾が生ずる。
現実だけを話すと、その内容は正しいが、その人は子供のようになる。思慮がないからである。
だが、残念なことに、日本語で話せば、理想の内容はこの世の嘘・偽りになる。
「それ、嘘・本当?」の中の嘘になる。

(B) 英語では、「あるべき姿」は未来構文 (未来時制) の内容となるが、日本語ではそうはならない。日本語には時制がないので、日本人の話は、言うなれば、現実構文 (現在時制) ば


閲覧数2278 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2008/09/15 00:32
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2008年09月06日(土) 



日本語のような現実構文一本やりの言語を使って考えれば、現実肯定主義一辺倒の国になる。
英語のように理想を語る未来構文と、現実を語る現在構文があれば、その中間をとって徳の高い国を作ることができる。
我々は、理想と現実の間にあって、理想に近い傾向の人は革新系となり、現実に近い傾向の人は保守系となる。
現実肯定主義一辺倒の国ではご唱和が大切で、非国民は粗末に取り扱われる。
この国の議論にはたいした意味は無いが、理想と現実のある国では、人々はそれぞれに中庸の徳を語ることができるので大切である。

多数支配の原則を


閲覧数1762 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/09/06 13:05
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2008年09月05日(金) 



目の前の事柄が分からないようでは、大切な一命を落とすことになりかねない。だから、目先のことにはくれぐれも注意を払う必要がある。だがしかし、目先のことのみに囚われてその日暮らしをしていては、小鳥たちの暮らしと変わりがない。
人間としての偉大な社会を建設するためには、この世に関する「あるべき姿」の考察が必要である。一人一人の人間について個人の哲学が必要である。それで、高等教育が必要になる。哲学博士 (Ph. D.) の牙城である大学に入学することになる。能天気の人々には、この過程がない。
240文字


Professor Terashima is an accompli


閲覧数1522 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/09/05 23:21
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2008年09月05日(金) 



「上と見るか、下と見るか」を考えるのは、日本人の常である。
これは、日本語に、階称 (言葉遣い) があることによる。
品定めは、すでに平安朝の貴族もやっていた。
かような上下思考を繰り返していると、序列思考が身についてくる。
序列的発想法により、全ての物事を判断する習慣がつく。かくして身分格式の世界が出来上がる。
わが国は、カミの国である。戦後の民主的な臣民政府はお上が取り仕切っている。
序列的相互扶助がなくては、個人も国際社会に出て行けない。
「義理 (序列) が廃れば、この世は闇だ」ということである。
若者が


閲覧数1218 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/09/05 21:03
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2008年09月05日(金) 



自分が考えた「あるべき姿」の話しをすれば,相手は「だが,現実は,そうなってはいない」と言い返す。現実構文の内容として「あるべき姿」を陳述すれば,聞き手は「話にうつつ(現)を抜かしてはならない」と言う。あるべき姿の内容は、現実の内容ではない。現実構文では,実感が湧かない.もっと実のある話が聞きたいのである。
現実構文の内容を語れば,話は自ずと現実肯定主義となる。そして,「現実は,否定できない」と付け加える。自分が真理に到達したと勘違いできる雰囲気を獲得する。現実肯定主義は,「あるべき姿」を語らない。無哲学・能天気と表裏一


閲覧数1005 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/09/05 15:21
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2008年09月01日(月) 



「ボランティア活動を普及させようとすれば、それは強制になる」という反対者がいる。ボランティアは自由意思に人であるから、強制の逆であるはずだが、我が国ではそう簡単にはならない。意思 (will) は未来構文の内容であるが、日本語には未来構文はない。意思のない日本人には、意思も自由意思の意味も理解できない。意思薄弱 (weak-willed) ともいえる日本人の前で力説すれば、それは強制と結果的に変わりないということになる。言霊 (the spirit of language) の効果によるというものであろうか。これも、「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」の例であろ


閲覧数835 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/09/01 15:56
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2008年08月29日(金) 



日本語は、事実のみを述べるように出来ている。実況放送、現状報告の内容ばかりの発言をしている人は、当人が対岸の火事を見ているようなもので、本人の直接行動を期待することはできない。意思のあるところに方法があるといわれているが、意思の無いところには、方法もない。それで、無為無策といったところか。日本の政治はその表れである。

意思は未来構文の内容で、日本語には、その未来構文が無い。だから、日本人は未来のことを組織的に考えることが難しく、この国には何でもそろっているにもかかわらず、ただ夢・希望だけが無い。未来社会の内容を


閲覧数1384 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/29 09:47
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2008年08月23日(土) 



私の祖母は明治10年の生まれであったから、江戸時代の生活をした人ではなかった。だが、当時の年寄りから話を聞いていて、封建時代のことをいろいろと話してくれた。家の前の道は往還といって、殿様が通った道であったということである。殿様が通るときは、あらかじめ道に浜砂をまいてきれいにしておくのだそうである。殿様の行列は、「下におれ、下におれ」と掛け声を掛けて通り、民は土下座して行列を見ることもなく通り過ぎるのを待っていたそうである。
今の世の中では、「下におれ、下におれ」は、誰にでも通用する言葉ではない。
人の上に立つため


閲覧数876 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/23 16:39
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2008年08月23日(土) 



日本を覆う閉塞感は、事実と構想を分離できないわが国民の考え方に起因している。
過去の体験を過去構文の内容として語る一方、自分の考えを現在構文の内容として表現するとか、
現在の内容を現在構文の内容として語る一方、「あるべき姿」としての自分の考えを未来構文の内容ととして表現すれば、自分の考えと現実は分離できる。
時制のある英語を使うと、この操作が可能になる。
だが、時制のない日本語では、こうした考えの操作は難しい。
現実の内容と考えの内容とは殆ど一致しないにもかかわらず、考えと現実の内容を同次元の構文で述べたら


閲覧数510 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/23 03:36
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