寅さんと渥美清さんがダブルます。
やはりそういう人生があったのですね。
お巡りさんとの出会いがなければ、寅さんもなかったですね。
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へえ、田(た)へしたもんだ、 蛙のションベン、見上げたもんだ、屋根屋のフンドシだよ。 『男はつらいよ』各作から 渥美清さんは、1928(昭和3)年3月10日に、東京市下谷区車坂に生まれた下町っ子です。本名は田所康雄。お父さんは長野市上田で地方紙の記者をしていたジャーナリスト、お母さんは元小学校の教諭で、渥美さんが幼いころから、内職をして家計を支えていたそうです。そして秀才のお兄さんがいたのは、寅さんと同じです。 長く、つらい戦争が終わったときには17歳。終戦直後は家に寄り付かずに、上野や浅草の盛り場で、テキ屋の手伝いや、担ぎ屋をしていた不良少年だったそうです。いわば寅さんの放浪時代に当たる、渥美さんの青春時代です。 渥美さんは鮮やかなテキ屋の口上、バイしているときの覇気、意気に魅せられただけでなく、彼らが仕事を終えた後の、身じまいの仕方に魅了されたと、のちに語っています。そのころ、文字通り体験したテキ屋の世界が、寅さんのバックボーンとなったのです。 さて、渥美さんは風天という俳号で、数多くの俳句を残しています。そのなかに、こんな句があります。 むきあって 同じお茶すする ポリと不良 73年7月の句会で発表されたものです。渥美さんは、若いときお巡りさんから「おまえは一度見たら忘れられない顔だから悪い事はできないぞ。顔を売るんだったら浅草で役者にでもなったらどうだ」と言われ、役者になる決意をしたんだと、山田洋次監督に話したことがあるそうです。 ちなみに芸名は、そのころ読んだ小説に「渥美悦郎」という眉目秀麗の主人公が登場して、その二枚目にあやかってつけたものの、川崎の劇場に出演したときに、「渥美悦郎なんて芸名より渥美清の方が通りやすい」と座長から言われ改名。田所康雄と渥美清、二人の名前を持つ男となり、結核を患い、苦労をしながら、舞台、映画で活躍、時代の寵児となったのはご存じの通りです。 そして68年、フジテレビ「男はつらいよ」がスタート。渥美清さんは、車寅次郎というもうひとつの、誰もが知っている名前を持つことになります。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |