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2014年06月22日(日) 
第三章 守る意識
  打撃投手で培われた肩

 私はゴロを捕ることよりも、投げることのほうに自信があった。
 プロに入ってからは生まれ持った「地肩」が強いと誤解されることが多かったが、肩はもともとそんなに強くはなかった。第二章で少し触れたが、PL学園高校でバッティングピッチャーをやるなかで、自然と鍛えられたというのが実感だ。
 一年生の時は毎日、上級生相手にボールが目一杯入ったかごを三箱分、300球から400球を投げていた。最初は肩がパンパンに張り、寝るのも辛かったのを覚えている。自分の身体に合った投げ方をしないと、毎日400球はとても投げ続けられない。いい意味で楽をしないと、肩を壊してしまうからだ。だから、理にかなった身体の使い方が自然と身についていった。最初は300球投げるのが限界だったのが、次第に350、400球と投げられるようになっていった。
 清原和博さん、桑田真澄さんの「KKコンビ」に憧れてはいった当時のPL学園高校には、第一章で述べたように、一学年上に立浪和義さん、片岡篤史さん、野村弘樹さん、橋本清さんら、そうそうたる面々がいた。上級生に投げるプレッシャーといったら、それはものすごかった。
 怖い先輩は打ちやすいボールしか、バットを振ってくれない。バッティングピッチャーには、とてつもないプレッシャーがかかるわけだ。そのプレッシャーに負けて、俗にいうイップス(精神的な重圧でまともに投げられなくなる症状)になる同級生がたくさんいたほどだ。
 当時のフリー打撃は、竹材で作った竹バットで練習していたので、外角の甘いコースに投げることが鉄則だった。竹バットは芯に当てないと、金属バットよりも強く手がしびれてしまう。内角に投げて詰まったりすると、上級生の顔色が瞬時に変るわけだ、さほど技術がいらないというか、普通にバットを出せば芯に当たりやすいのが、外角の甘いコースだった。
 そこからは精神力の世界だった。
 ここでリリースすれば、このコースに行くといった技術的なことを考えている余裕など当時の私にはなかった。そこに投げるんだ。投げないと、上級生に怒鳴られる。その意識だけだった。気合で外角の甘いコースに投げていたわけだ。
 それぐらい、高校時代は厳しかった。だからこそ、正しい投げ方が身についたと今では思っている。もう一度、PL学園でバッティングピッチャーをやりたいかといったら、もう二度とやりたくない。
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 誤字脱字写し間違いあります。

閲覧数937 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/06/22 11:37
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