川相さんは楽しい方と思っていたのですが、やはり努力の人だったのですね。
見方が変わりました。
やはり名を残した方はそういうことですね。
第四章 攻める意識 バンドの極意 誤解を恐れないで書けば、バンドは嫌いだった。日本一になった2001年にシーズン67犠打のプロ野球記録をマークしたが、打者として誇れる数字ではないと思っている。 試合終盤の大事な場面は別にして、バンドのサインを出されるというのは、やはりベンチから信用されていないということだ。ベンチから信頼されていれば、送りバンドではなくヒッティングのサインが出る。だから、早くベンチから「打て」のサインが出るようになりたいと思いながらプレーしていた。 高校時代から二番を打っていて、バント自体はプロ入り当初から得意だった。バンドを成功させるうえで何が一番大事かといえば、「ボールを怖がらずにベースに頭を寄せられるかどうか」だと考えている。 ベースに頭を寄せれば、当然危ない。顔に向かって140キロのボールが向かってくるのだから、怖いのが当たり前である。だから、自然とバットを自分の顔の前に置くことができる。自分の顔の前にバットを置けば、目とボールの間にバットが入るから成功する確率が高くなるのである。 バントを失敗している選手を見ると、大抵が顔から離れた位置でバットを扱っている。目から離れた位置でバットを操作するよりも、近い位置で操作した、方が、バットに当てやすいに決まっている。 以前、テレビ番組の企画で川相昌弘さんとのバントのやり方を比べる企画があったのだが、バントに対する考え方がまったく違っていて面白かった。川相さんといえば、通算533犠打を決め、「バントの職人」と呼ばれた人である。ボールの勢いを殺すこともできるし、一塁側、三塁側を自在に狙うこともできる。ピッチャーが何を投げても、簡単にバントを決めることができた。正直な話をすれば、私は三塁方向にバントをするのが苦手だったので、「すごい」の一言だった。 川相さんとはバントの構えからして違った。一番は左手の位置だった。67犠打のプロ野球記録をつくった2001年当時、私はヒッティングの時よりもだいぶ上を持つようにしていたが、川相さんの場合はあまり上は持たなかった(2001年以降、私も左手の位置はあまり上を持つことはなくなっていった)。足の位置にしても、右足を前に出すと外角の変化球について行けなくなると考えて、右足を引いて構えていたのだが、川相さんは右足を引かずに構えていた。 ボールを当てる位置も違っていた。私はバットの先のほうに当てていたが、川相さんはバットの芯の近くに当てるという。バットをコントロールするのも私は右手で動かしていたが、川相さん左手だった。ボールの勢いを弱めるのは私は上半身で勢いを吸収するイメージだったが、川相さんは膝を柔らかく使って下半身で吸収するイメージを持っていたという。 構えひとつをとっても、これだけ違うのは面白かった。そんななかでも、川相さんと意見が一致したのは、バットと目の距離感をなるべく変えないようにしてバントするということだった。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |