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2008年08月12日(火) 



目の前のことは、大切である。目の前を良く見て車の運転をしなければ、交通事故は避けられない。
だが、当面のことばかりに気を取られていては、ナウな感じのするその日暮らしの生活は避けられない。
我が国には何でもあるが、ただ希望だけがない。この国を覆う閉塞感の暗雲を取り除く必要がある。
人生には、遠い未来のことを考える時間も必要である。
そして、未来の内容を考えるには、未来構文が必要である。
日本語には時制がないので、いうなれば、現実構文ばかりの言語である。
だから、日本語は、ナウな感じのするその日暮らしの生活の


閲覧数602 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/12 14:52
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2008年08月10日(日) 



私の高校時代の社会学の教科書には、「物言えば、唇寒し秋の風」という俳句を引用して、我が国の封建時代の言論の自由のなさを説明していた。
西洋のように異端者を火あぶりの刑に処したことはないが、我が国の為政者は住民を十字架にかけて殺した。歴史的なことばかりでなく、今日でも、誰も知らぬ間に何者かに頚動脈をかき切られて暗殺されたり、ライフル銃で頭に風穴を開けられて殺されることは、何処の国でもありうることであろう。同じ宗教に属していても所属する会派が違えば、お互いに殺し合いをしなければならない国もある。
私の妻は、「そのよう


閲覧数659 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/10 21:33
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2008年08月06日(水) 



日本語には、時制がない。
日本語には、未来構文がない。
日本語は、いうなれば現実構文ばかりの言語である。
未来構文なくして未来に関する確かなことを語ることはできない。
英文の未来時制の内容を日本語に訳すと、「、、、、だろう。」ばかりの文章になる。
未来構文の内容なくして未来構想は成り立たない。
未来構想なくして、未来社会の建設は成り立たない。
我が国の選挙民に確実な未来社会の建設を約束する信念の政治家は現れない。
民は希望があれば、それに対して金を出す。
我々の社会には希望そのものがない。だから、金


閲覧数780 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/06 06:21
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2008年08月04日(月) 



構想がなくては、建設するものなど何もない。構想なくして、国家建設も世界建設もありえない。我が国の ’UNDER CONSTRUCTION’ は、何処もかしこも「建設中」ではなくて「工事中」なのであろう。
工事は、モグラ叩きの方法による一時しのぎ問題解決法である。意見も建設的な意見ではなくて、工事的なものとなっている。活動規模の矮小さは、経済活性化の起爆剤にもつながらない。
不安は、空白の未来に関する感情である。この国には何でもあるが、ただ希望だけがない。不安を解消しようとする安心実現内閣も工事的な内閣なのであろう。建設には構想があり完成が


閲覧数1408 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/08/04 12:04
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2008年08月02日(土) 



日本人の「世の中は、、、、、、」の発想法は、遠く万葉の時代から続いている。世の中とは、現実の世界のことである。その内容は、実況放送・現状報告のようなものである。
日本人にとって現実が世界の全てである。その他は、夢と幻である。これらは、実体のない空理空論というか、いわゆる雑念である。

現実に関する発言内容には個人差がない。それで、日本人の発言は没個性となる。
没個性の人間の個人差として取り上げられるものは、暗記と受け売りの能力差である。これが日本では実力として通用する。
大人も子供も、現実という同次元の話に


閲覧数574 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/08/02 12:28
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2008年07月31日(木) 



現実の世界と、非現実の世界は次元が違う。

日本語には、時制がなく、現実構文しかないので、現実と非現実の区別が難しい。
現実の世界と、非現実の世界が頭の中で混沌としていたのでは、現実の世界を見極めようという意欲は出て来ない。
現実構文の内容に見合った現実の世界の事柄で頭の中が一杯になっていたら、自分独自の考えを蓄えておく余地など頭の中にはない。
だから、日本人は、無哲学・能天気の状態になりがちである。

現実と非現実が混沌としている有様を日本人は歌に詠む。
その中で、矛盾はさして気にならない。そして、


閲覧数689 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/07/31 10:27
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2008年07月27日(日) 



私の人生の中でもっとも幸いに思うことは、生理学という英米の学問を専攻したことであると考えている。
リーズン (reason) とか、リーズナブル (reasonable) とかいった言葉に出会うことができたことであった。リーズンは理性・理由・適当に相当することばであって、リーズナブルは、理性的な・理由になる・適当なという意味の言葉である。
これらの言葉は、個人判断に関する評価の言葉であるが、日本語にはこれに相当した言葉はない。
だから、個人主義も理解されていないし、偉大な個人も育たない。
「適当にやれ」は、「不適当でもかまわない」と解釈され


閲覧数2393 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/07/27 03:22
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2008年07月22日(火) 




日本語による思考では、理想を考える人は現実に適応できる人にはならない。
理想の内容と現実の内容は一致しないから、その人の言行は空理空論とみなされる。
文法に時制がなく、個人の考えと現実の内容が区別できない言語を使用すると、こうした混乱がおこる。
日本人は、論旨があやふやで議論が出来ない。個人に叡智 (すぐれた知性) がみられない。
英米人でも、子供の頃は、日本人と差がない。それ以後伸びるのは、時制を使った言語の発達によるところが大きい。
現実は、現在時制・過去時制の内容として表される。考えの内容は、未来時制と


閲覧数583 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/07/22 10:21
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2008年07月05日(土) 



子供のときに親や教師から言葉遣いを教えられた。
その頃の私は、まだ単純であったから、偉くて尊敬される人は、言葉遣いも丁寧であるがゆえに人々の尊敬を集めているものと思い込んでいた。
だが、世の中をよくよく眺めてみると、私の解釈が正しくないことがだんだんと分かってきた。
偉い人よりも私のほうが、言葉遣いが丁寧である場合が多かったからである。
結局、日本人は「上と見るか、下と見るか」の世俗的判断に従った言葉選びをしているに過ぎないようである。だから、論理に関する点もついつい疎かになる。

外国語を知らないものは


閲覧数896 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/07/05 17:40
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2008年06月23日(月) 



英語を習い始めた頃は、英語で話すことは日本語を別な言葉で言い換えるようなものだと思っていた。つまり、「本」のことを ’book’ というようなものだと思っていた。
だが、自分の考えを英語にして話すようになると、それはまったく違った考え方を表現するもであることが分かった。
日本語で話すと、事実 (客観) と考え (主観) の区別ができない。それは、時制がないからである。日本語は、実況放送・現状報告のための言語である。事実はうつつ (現) であり、うつつを抜かさないで話をするには、自分の考えの方を抜かさなくてはならない。
考えを抜かして発


閲覧数1721 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/06/23 17:35
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