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2008年08月04日(月) 



構想がなくては、建設するものなど何もない。構想なくして、国家建設も世界建設もありえない。我が国の ’UNDER CONSTRUCTION’ は、何処もかしこも「建設中」ではなくて「工事中」なのであろう。
工事は、モグラ叩きの方法による一時しのぎ問題解決法である。意見も建設的な意見ではなくて、工事的なものとなっている。活動規模の矮小さは、経済活性化の起爆剤にもつながらない。
不安は、空白の未来に関する感情である。この国には何でもあるが、ただ希望だけがない。不安を解消しようとする安心実現内閣も工事的な内閣なのであろう。建設には構想があり完成が


閲覧数1588 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2008/08/04 12:04
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2008年08月02日(土) 



日本人の「世の中は、、、、、、」の発想法は、遠く万葉の時代から続いている。世の中とは、現実の世界のことである。その内容は、実況放送・現状報告のようなものである。
日本人にとって現実が世界の全てである。その他は、夢と幻である。これらは、実体のない空理空論というか、いわゆる雑念である。

現実に関する発言内容には個人差がない。それで、日本人の発言は没個性となる。
没個性の人間の個人差として取り上げられるものは、暗記と受け売りの能力差である。これが日本では実力として通用する。
大人も子供も、現実という同次元の話に


閲覧数865 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2008/08/02 12:28
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2008年07月31日(木) 



現実の世界と、非現実の世界は次元が違う。

日本語には、時制がなく、現実構文しかないので、現実と非現実の区別が難しい。
現実の世界と、非現実の世界が頭の中で混沌としていたのでは、現実の世界を見極めようという意欲は出て来ない。
現実構文の内容に見合った現実の世界の事柄で頭の中が一杯になっていたら、自分独自の考えを蓄えておく余地など頭の中にはない。
だから、日本人は、無哲学・能天気の状態になりがちである。

現実と非現実が混沌としている有様を日本人は歌に詠む。
その中で、矛盾はさして気にならない。そして、


閲覧数747 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/07/31 10:27
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2008年07月27日(日) 



私の人生の中でもっとも幸いに思うことは、生理学という英米の学問を専攻したことであると考えている。
リーズン (reason) とか、リーズナブル (reasonable) とかいった言葉に出会うことができたことであった。リーズンは理性・理由・適当に相当することばであって、リーズナブルは、理性的な・理由になる・適当なという意味の言葉である。
これらの言葉は、個人判断に関する評価の言葉であるが、日本語にはこれに相当した言葉はない。
だから、個人主義も理解されていないし、偉大な個人も育たない。
「適当にやれ」は、「不適当でもかまわない」と解釈され


閲覧数2614 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/07/27 03:22
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2008年07月22日(火) 




日本語による思考では、理想を考える人は現実に適応できる人にはならない。
理想の内容と現実の内容は一致しないから、その人の言行は空理空論とみなされる。
文法に時制がなく、個人の考えと現実の内容が区別できない言語を使用すると、こうした混乱がおこる。
日本人は、論旨があやふやで議論が出来ない。個人に叡智 (すぐれた知性) がみられない。
英米人でも、子供の頃は、日本人と差がない。それ以後伸びるのは、時制を使った言語の発達によるところが大きい。
現実は、現在時制・過去時制の内容として表される。考えの内容は、未来時制と


閲覧数638 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/07/22 10:21
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2008年07月05日(土) 



子供のときに親や教師から言葉遣いを教えられた。
その頃の私は、まだ単純であったから、偉くて尊敬される人は、言葉遣いも丁寧であるがゆえに人々の尊敬を集めているものと思い込んでいた。
だが、世の中をよくよく眺めてみると、私の解釈が正しくないことがだんだんと分かってきた。
偉い人よりも私のほうが、言葉遣いが丁寧である場合が多かったからである。
結局、日本人は「上と見るか、下と見るか」の世俗的判断に従った言葉選びをしているに過ぎないようである。だから、論理に関する点もついつい疎かになる。

外国語を知らないものは


閲覧数956 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/07/05 17:40
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2008年06月23日(月) 



英語を習い始めた頃は、英語で話すことは日本語を別な言葉で言い換えるようなものだと思っていた。つまり、「本」のことを ’book’ というようなものだと思っていた。
だが、自分の考えを英語にして話すようになると、それはまったく違った考え方を表現するもであることが分かった。
日本語で話すと、事実 (客観) と考え (主観) の区別ができない。それは、時制がないからである。日本語は、実況放送・現状報告のための言語である。事実はうつつ (現) であり、うつつを抜かさないで話をするには、自分の考えの方を抜かさなくてはならない。
考えを抜かして発


閲覧数1932 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2008/06/23 17:35
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2008年06月22日(日) 



私が子供の頃、「のんき節」と云う歌があって、「のんきな父さん、お馬のおけいこ、お馬が走り出しや止まらない。 、、、、、、 わたしゃ知らないお馬に聞いとくれ、へへのんきだね」と歌いました。何の哲学も持たないまま、世の中の流れに流されて仕方なく、もぐら叩きをして生きる人間の哀れと空しさを、日本人は昔からよく知っている。

はっきりとした意思の内容を持たない日本人の生活は、貴方任せである。我が国の政治家は、手綱を握らないで官僚という馬に乗っているようなものである。当然のことながら、官僚は、民意を代表するものではない。だ


閲覧数1168 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2008/06/22 11:13
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2008年06月17日(火) 



朝日新聞社の「論座2007年1月号」に掲載された赤木智弘氏の <「丸山真男をひっぱたきたい」> を読みました。
私は、丸山真男をひっぱたきたくもないし、赤木智弘をひっぱたく気にもなれない。かれ等は、共に現象論に終始する同じ穴の狢だからである。
必要なことは、現象の先にある答えである。我らが進みゆく未来の目標地点である。それを明示した上で、我々の現実に取りうる手段を提案することである。
そうでなければ、こうした現象論には際限がない。


Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose cr


閲覧数1255 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2008/06/17 05:23
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2008年06月07日(土) 



日本語には、時制がない。
和文には、未来構文がない。
意思は、未来構文の内容である。
日本人には、意思がない。
意思がないところに方法はない。(Where there’s a will, There’s a way.)
しどろもどろとしていて、我が国は世界の期待に応えることが難しい。

日本人の社会では、意思は存在しない。
だから、個人に意思の内容を尋ねることもなければ、容認することもない。
個人主義は成り立たず、利己主義と間違えられることが多い。
個人の意思を無視した指導者選びが行なわれる。
当番選びのようなものか。アニマルの品評会のような


閲覧数1154 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2008/06/07 21:48
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