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2014年01月07日(火) 
琉球新報 2013年1月1日付 朝刊
【一歩ずつ成長】
〈三人補い合って一人前〉三人四脚 當山さん一家
 父が娘の右肩に手を添え、母は反対の左腕を抱える。笑顔の「三人四脚」。手から伝わるぬくもりに、成長を感じる幸せの瞬間だ。
 那覇市内に親子3人で暮らす當山さん一家。父の勲さん(56)は中学生のときに網膜剥離で両目を失明、母の由美子さん(60)は次第に視野が狭くなる網膜色素変性症を患う。そして、一人娘のゆりさん(19)はダウン症だ。
 當山家の正月は毎年カラオケと決まっている。曲に合わせて、ゆりさんがひょうきんに歌い踊りだす。両親はその声を聞き、体に触れて「上手、上手」と腹を抱えて笑う。
 ゆりさんは昨年、大平特別支援学校の高等部を卒業し、障がい者の就労を支援する事業所に通い始めた。パンの販売や店舗の清掃実習などに取り組む。「掃除した」「携帯解体」。帰宅後、その日経験したことを元気よく報告する。勲さんは「前は尋ねたことにこたえる程度。事務所に通うようになって言葉が増えたみたい」と目を細める。
 當山さん夫婦にとって子育ては挑戦、発見、感動の繰り返しだ。「育てあげている」のではなく「親として育ててもらっている」という感覚。由美子さんはそんなふうに表現する。同じように障がい児を育て悩みを共有できる仲間、本音で付き合える友人、親の手が届かない部分を支援してくれるヘルパー…。ゆりさんを介してつながりも広がった。
 勲さんは、自分の両親への接し方にも変化が現れたという。かつては「親子だから言わなくても分かるだろう」とつっけんどんな態度をとってしまうことがあった。「僕の障がいが分かったとき、進学の節目、両親がどんな思いで見守っていたか。今ならその愛情が分かる」。勲さんの母は、息子を人が集まる場所など外へ積極的に連れ出した。社会に参加し、自分にできることは自ら努力するようにさせるためだ。それは今、ゆりさんに対する教育方法に受け継がれている。
 由美子さんはこの1年で急速に病状が進み、左目は光を感じる程度で、右目も0.01ほどの視力しかない。この先のことを考えると、娘の将来に不安がないわけではない。それでも、ゆりさんは最近、外出する際に両親の手を引いて誘導するのが上手になった。「私の仕事」と言わんばかりの満足そうな表情。ゆっくりゆっくりと、確実に成長を続けている。
 「3人で補い合ってちょうど一人前。これからも協力しながら生きていきたい」。家族のささやかな願いだ。
 當山家の朝。出勤前の3人は「頑張ろうね」「オー!」掛け声を上げて玄関を開ける。幸せな声に包まれ、また一日が始まる。      (大城周子)

 ○○〈読者投稿〉
この記事は、親子3人ともしょうがいがある家族の記事です。お父さんは、両目を失明してしまい、お母さんは、左目は光を感じる程度で、右目は0.01ほどの視力しかないそうです。一人娘のゆりさんはダウン症にかかってしまいました。けれども、3人で補い合って、ちょうど一人前と話し、協力し合って生活しています。
 ゆりさんは外出するとき、目が悪い両親の手を引いてゆうどうしているそうです。
 ゆりさんの両親は目が見えないので、子どもを育てるのは、むずかしかったはずです。でも、今は、子どもに助けてもらい、うれしく思っていると思います。
 出勤前の3人は、
「がんばろうね。オー!」の掛け声をあげて、玄関を開けて、一日をスタートさせています。
 ゆりさんたちは、みんなしょうがいを持っています。でも、かけ声を出してとてもがんばっています。みんな前むきですごくいいなぁと思いました。
 ぼくの家族は、しょうがいを持っている人はいませんが、ゆりさんたちのように助け合っていきたいと思います。
     鶴田直也さん 9歳 沖縄県
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 誤字脱字写し間違いあります。

閲覧数696 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/01/07 12:00
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