第二章 気づかせること チームのなかでの役割 WBCではイチローがリーダー的な役割を果たしてくれたのは大きかった。ショートには、川崎宗則(当時ソフトバンク)や西岡剛(当時ロッテ、2006年WBCでは主にセカンドを守った)が選出されていた。私は、アテネ五輪の時のように選手としてチームを引っ張るのではなく、裏方としてチームをサポートしていこうと思っていた。 一次リーグが始まっても、もうひとつ緊張感がチーム内から伝わってこなかった。代表チームでは、言いたいことを言える環境が大切だ。お互いに話し合い、各チームでは主力の選手たちが代表にために身を捧げる意識が求められる。 私は、緊張感の欠如をイチローに「どう思う?」と問いかけた。 「ちょっとまずいですね」 「それじゃあ、ちょっとしゃべってくれるか」 快くイチローは「わかりました」と応えてくれた。 練習前、イチローを円陣の中心に置いた選手だけのミーティングが行われた。そのイチローを中心として、チームに結束力が少しずつ生まれてきていた。 私は、バッティングピッチャー、球拾いなどを率先して行った。イチロー、西岡、川崎を相手にストライクを投じていく、バッティングピッチャーはストライクを投げることが仕事だ。一回マウンドに上がるとバッティングピッチャーといえども100球近くを投げる。そのうちボールは2,3球。PL学園での経験が生きたのかもしれない。少しでも主力選手が気持ちよく打ってくれればという一心だった。 アメリカラウンド(二次リーグ、決勝リーグ)は、本当に波乱の連続であった。日本は、三塁ランナー西岡のタッチアップの離塁が早いという判定をされて米国に惜敗してしまった。ところが、二次リーグ最終戦、メキシコがアメリカに勝ったため、決勝リーグ進出が決まった。 そして準決勝の韓国戦。日本はアジアラウンド、アメリカラウンドのいずれも韓国に負けていた。二試合続けて韓国に苦汁を嘗めさせられたことはわれわれ選手にとってもショックだった。日本野球の未来のためにも決して負けられない。 私は、その試合の戦況をベンチから見守った。そして7回ランナー3塁の場面で代打として座席に立った。韓国の投手はソン・ミンハン。ランナー3塁であるにもかかわらず、初球からキャッチャーのサインに首を振り、フォークボールを投じてきた。3対0で日本がリードしていた。7回の終盤、韓国としてはもう1点もやれない場面だ。そんな局面で初球からフォークを投げてくるということは、よほどフォークに自信をもっているに違いないと思った。2球目のサインにもソンは首を縦に振らなかった。私は自信をもっているフォークを投げるはずだと感じていた。 ソンが投じた2球目を叩くと、打球は三遊間を破り貴重な追加点となった。不思議と相手がよく見えていたし空気に呑まれることもなかった。これまでの経験が生かされた場面だった。 たとえスターティングメンバーに名前を連ねなくとも、練習から準備しチームのために行動する。そうした思いが打たせてくれたヒットだったかもしれない。 二度目の韓国戦での敗戦後、忘れられない記憶がある。試合ではほとんど出場機会に恵まれなかった和田が人目をはばからず泣いていた。控えの選手がチームを思って泣くことができる。チームとしてそれぞれ役割をこなすことができていた。 そして、キューバを撃破して世界一。勝利の興奮に沸くなかで後輩たちが、差し出してくれたものがあった。純銀製のWBC優勝トロフィーだった。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |