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先月、岐阜県の土岐市から中高年の団体が掛川城に来られました。 明智光秀は土岐一族の出身と聞いていたので、「いよいよ光秀の出番ですね」と投げかけました。 ところが彼らは明智光秀を自慢に思っていないようで、冷淡な返しで終わってしまいました。
明智家の御子孫「明智憲三郎氏」もこどもの頃は「裏切り者」扱いされていじめられたそうです。 終戦の頃までの教育では「信長絶対」で「家康はずるいヤツ」「光秀は逆賊の裏切り者」だったらしいです。 私もずっと明智光秀に対して良い印象は持っていませんでした。
定年になって歴史の勉強で、あちこち出掛けていくと光秀に対しての印象も変って来ました。
(西教寺) こちらには光秀の奥方(熙子)のお墓があり、光秀の慰霊塔が隣りにあります。 熙子さんとのエピソードが素晴らしい!
私は光秀が生きていて欲しいという気持ちから「天海僧正」として家光の時代まで、徳川家を支えてきたという「噂」を信じていました。 何年か前の大河ドラマ「麒麟が来る」の最後はそれを匂わせる終わり方をしていました。 ・・・まさかですよね! でもそんなドラマをつくって欲しいです。
昨日の大河では光秀は捕らえられて秀吉と対面していますが、それはないでしょう。 殺されたとすると落ち武者狩りが妥当だと思います。
逃げ切れなくて切腹したという説もあります。 切腹したあと自分の首を切って土の中に埋め隠したなんて、すご~い話もあります。
と言う事で遺体の検証はされていないので、お墓もありません。
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