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おそらく殆どの方が名前をご存じでないと思います。
コニーフランシスさんが17日に逝去されたというニュースが飛び込んできました。 87歳だったそうです。
この方はアメリカンポップスの先駆者とも言える方です。 「カラーに口紅」「ボーイハント」「可愛いベイビー」「バケーション」「大人になりたい」など次々にヒットを飛ばして、日本では中尾ミエさん、弘田三枝子さん、伊東ゆかりさん、などが日本語バージョンで歌って大ヒットしました。
あの頃はまだ和製ポップスが生まれていない時代でした。 外国のヒット曲を日本の歌手が歌ってヒットさせていました。 コニーフランシスも日本語バージョンで歌っていました。
世界中に何億枚という売上を記録したお姉さんです。
それまで日本ではいわゆる「流行歌」と言うものはありました。 春日八郎さん、三橋美智也さん、藤山一郎さんなど錚々たる歌手がいました。 当時はまだ「演歌」と言われるジャンルはなかったと思います。
shinobiは小学校5年の時の伊藤先生に感化されました。 その先生はアルゼンチンタンゴにはまっていたので、レコードを持って来て手回しの蓄音機でよくそれを聴かせてくれました。 「ラ・クンパルシータ」がかかると自らタンゴを踊るほどの方でした。
リカルドサントス楽団の「真珠とりのタンゴ」は、まだ蓄音機もないshinobiがはまって最初に買ったレコードです。 その後は放送室の蓄音機ですり切れるほど聞きました。
そんなshinobiなので中学に入っても洋楽ばかりでした。 ラジオで文化放送の洋楽ベストテン番組「9500万人のポピュラーリクエスト」を聞きたくて、感度のよいラジオ「5球(真空管5本)スーパー」を自作したくらいです。
ビートルズの登場はいちばんshockでした。 高校卒業して東京に出たとき、9500万人のポピュラーリクエストのパーソナリティ「小島正雄さん」が癌で亡くなり、青山の葬儀場にお別れに行ったことがあります。
話せば切りがありません、いずれまた機会があったら話したいと思います。
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