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第一章 気づくこと 言い訳を叱責される 2004年のアテネ五輪、08年の北京五輪で日本代表チームのキャプテンを務めていたことから、私にはリーダーとしての資質があったと思われている方もいるだろう。口やかましいイメージがあったせいか、40歳を越えたあたりからは「球界のご意見番」としてメディアに意見を求められることも多かったが、とてもではないが、チームを引っ張っていくようなタイプの選手ではなかった。 アマチュア時代にはよく怒鳴られていた。 自分のなかで「これは変わらなければいけないな」と気づくことができたのは、同志社大学でのある経験からだった。 一 … [続きを読む] |
それでは優勝インタビューです。 白鵬関です。 優勝おめでとうございます。 どうもありがとうございます。 拍手 29回目の優勝というのはいかがですか?そうですね先場所はだめでしたけれど今場所は29歳で29回の優勝、うれしいです。 拍手 ついに30回の大台も目前に迫ってきましたね。 私は、そういう数字は頭で考えないで心のどこかで、しまっておいて何て言うのかな…ことばで言わずに頑張っていきたいなと思います。 拍手 きょうはモンゴルからお父さんとお母さんいらしてその前での優勝喜びもひとしおじゃないですか。 おやじが体を悪くして2年ぶりに日本に来 … [続きを読む] |
第一章 気づくこと 「理」を支える「情」 ある時、ミーティングで野村監督がおもむろに選手たちに尋ねてきたことがあった。 「打者として一番嫌いな球種は何か?」 一呼吸、間を置いた野村監督は続けて言った」 「打者にとって一番嫌いな球とは、投手にとって一番効果的な球である」 そしてミーティングの末に導き出された答えが、右打者であれば内角へのシュートだった。その考えを自分のものにして蘇ったのが、川崎憲次郎だった。シュートを覚えた1998年に17勝を上げ、最多勝と沢村賞に輝いたのだ。 「自分が嫌なことは相手も嫌がる」 「相手のエースを打ち崩すと、 … [続きを読む] |
夜泣き石 旧東海道の中山峠に夜泣き石伝説がある。その昔、安産祈願の女性が山賊に殺されてしまい、女性の霊が石に乗り移った。石からは夜ごと泣き声が聞こえ、その声を聞いた近くの寺の和尚が、女性が産んだ子どもを見つけて育てた―というのがあらすじ。 子どもを育てたとされるあめが名物になるなど、地元で伝説の存在感は大きい。石は明治や昭和時代に、東京での博覧会や物産展に出品され、それをきっかけにした所有権確認をめぐる裁判が起きたことも初めて知った。「石の存在はこの地域の財産」という郷土史研究家の言葉が耳に残る。 そんな背景を知るよしもなく … [続きを読む] |
第一章 気づくこと 自分を知る どうすれば意識を高く持ち、日々の行動や仕事に生かすことができるのだろうか。私が19年間もプロ野球の世界で現役生活を送ることができたのは、多くの指導者の方々との出会いがあったからだ。 影響を受けた指導者は多いが、一人名前を挙げろと言われれば、やはり野村克也監督(1990~98年 ヤクルトスワローズ監督)の名前を挙げたい。PL学園高校、同志社大学、プリンスホテルと、アマチュア時代から勝利を義務づけられたチームでプレーしてきたが、プロで生きていく術(すべ)を教えてくれたのが、野村監督だった。 私の担当スカウト … [続きを読む] |
宮本慎也著 意識力 はじめに――意識を積み重ね、無意識を求める 誰でも一度は、「そういう意識がないから仕事ができないんだ」「もっと意識を高く持って仕事をしろ」と、職場で言われた経験があると思う。 2013年の引退会見で「現役生活で誇れることは何か」と聞かれた私は「好きで始めた野球が、プロになった瞬間仕事に変った。よく野球を楽しむというけど、一回も楽しんだことはなかった。19年間、仕事として真剣に向き合ってこられたのが、誇れる部分だと思う」と答えていた。 娯楽であるはずの野球は本来、楽しいものだ。チームの勝利、一本のヒットは、どれ … [続きを読む] |
●こんどは「意識力」という本を暇つぶしに写そうと思います。 内容 意識が変われば人は大きく成長する。ヤクルトで三度の日本一、日本代表主将を務めた著者が、気づきを与えて人を動かす方法を著す。 解説 著者の宮本慎也さんは、19年間の現役生活で2000本安打と400犠打をともに達成した唯一のプロ野球選手です。また、ヤクルトスワローズのリーダーとして三度の日本一を成し遂げ、アテネ … [続きを読む] |
苦労したんだなぁ、本当に皆さんご苦労様でした。 第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』から 最終作となった第48作『寅次郎紅の花』のラストで、寅さんは神戸市長田区の被災地を訪ねます。寅さんはこの地で、阪神淡路大震災に逢い、そのままボランティア活動をしていたのです。それから11カ月後のお正月、寅さんが「菅原市場 復興祭」へやって来たのです。 『寅次郎紅の花』では、寅さんとリリー(浅丘ルリ子)は奄美群島の加計呂麻島(かけろまじま)で楽しい日々を過ごし、二人そろって柴又のくるまやに帰ってきます。ちょっと … [続きを読む] |
おばちゃん、俺はこの鉛筆見るとな、 お袋(ふくろ)のことを思い出してしょうがねえんだい。 第47作『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』から 第47作『拝啓車寅次郎様』で満男(吉岡秀隆)は大学を卒業し、靴メーカーの営業マンとして就職します。久しぶりに帰ってきた寅さんを囲んでの茶の間のひととき、「仕事は面白いか?」と寅さんに聞かれた満男は、不平不満をこぼします。 それを聞いた寅さんは「勝負してみるか」と、机の上にあった鉛筆を「俺に売ってみな」と満男に差し出します。何十年もの長い間、口八丁で啖呵売(た … [続きを読む] |
旅というものはな、 行き先を決めてから出かけるもんじゃねえんだよ。 第46作『男はつらいよ 寅次郎の縁談』から 寅さんは、旅から旅への人生を送っています。財布に五百円札一枚しかないこともあります。大抵は、地方の商人宿と呼ばれた、木賃宿に泊まっているのですが、それとてお財布と相談です。予算が足りないときは、駅のベンチで寝たり、満天の星を眺めながら、草むらでゴロリと寝ているかもしれません。 「風の吹くまま、気の向くまま」の名ぜりふの通り、寅さんはマイペースで旅を続けているように見えます。当たり前で … [続きを読む] |
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