いろいろなエピソードお持ちのshinobiさんらしいお話ですね。
橋さんの若き日の映像で、吉永小百合さんとのいつでも夢を」という歌のシーンありましたが、私、この歌好きだったなぁと思い出していました。
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歌手の「橋幸夫さん」が逝去されたニュースがありました。 82歳だったそうです。
私はポップスファンだったので、橋さんの歌にはあまり興味はありませんでした。
東京に住んでいた頃、某著名な家電メーカーのサービスステーションのサービスマンをしていました。 目黒にある柿の木坂サービスステーションは港区、渋谷区、世田谷区、目黒区の担当です。 ですからこの地区の道路は裏の裏まで知っていました。
ある時、橋さん宅から修理依頼の連絡がありました。 それが冷蔵庫だったか、洗濯機だったか、テレビだったか記憶にありません。
伺ったところ奥様しかいなくて、当時は修理中に世間話をしていることが多かったです。 奥様はスチュワーデス(古いな~、今はキャビンアテンダント?)だったと言うことは知っていました。 そんな仕事の会話もしました。
ちょうどshinobiが転職で英会話を習っていた時に知り合った女史高校生が、「私卒業したらスチュワーデスになりたい」と言っていたので後日橋さん宅に連れて行ったことがあります。 いろいろ教えてもらいました。
そのお嬢さんは卒業して見事JALのスチュワーデスになりました。 第一便がロンドンで、私はマドリードに住んでいました。 ロンドンで「お会いしたい」という手紙えお受け取りましたが、ちょうど会社が倒産した直後で行けませんでした。
橋幸夫さんと直接の思い出は無かったですが、こんな淡い思い出がありました。
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